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雑多な雑感――NPOの戯言⑩

《たぶん普遍的なテーマ③》 おとなと子ども
 小さい子どもの頃(子どもは小さいのが普通だがびっくりするほどデカいヤツもいる)、おとなになれば人は変わるものだと信じていた。おとなの立ち居振舞いが立派に見えていたのである。断言してもいいが、それは錯覚である。理由を整理してみた。
 まず、振舞いの違いは単に体力・気力の衰えの反映である。個人差は相当に認められるが、これはわたしの実感によって部分的証明にはなる。行動の「ゆとり」「鷹揚さ」「威厳」とは「しんどい」「疲れた」の身体的表現に過ぎない。加えて、シワ・シミ、体臭なども子どもを近寄らせない武器になっている。
 また、経験が人間を成長させるという大いなる誤解が社会的に受容されているからである。これもわたし自身を傍証とするほかないが、子ども時代からみると経験は積んでいるが、少なくともそれに応じた脳内の成長は認められない。子どもに愚昧さを認めるならば(わたしはそれに同意する)おとなも愚昧さにおいて大差ないということになる。
 さらに、おとなは自信に満ちて堂々としているというのも錯覚であった。自信と思しきは自慢の披瀝と押し付けであり、子ども時代から続く承認欲求の婉曲的表出にすぎない。
◆注:何事にも例外はある。わたしが通例なのか例外なのか、断定することは控えたい。

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