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結局自分だけ、それって寂しいこと?

周りの人は自分が優しくしたり、心配したりするために居てくれているって聞くとどう思いますか?

心配は、心を配ると書きます。相手を思いやり気を使うということ。

相手の気持ちになって、相手の立場で物事を考えるのは大事、ただし相手がどのような人であるかは無関係、どのような人にも分け隔てなく接することが大切だから。

あくまでも自分が相手にどのように接するかのみが重要。

相手が優しいから優しくするのではなく、相手が偉い人だから礼儀正しくするとか、相手を見て自分の身の振り方を変えたり、見返りを求めたり、互いの利益を交換し合ったりでは、未来永劫、本来の自分の生き方には巡り合えない。

自分の都合を周りに押し付けて、好き勝手に生きればいいと言っているわけではなく。自分以外の相手の気持ちになって、常日頃の自分の生き方や在り方を改め、弱い人の気持ちを汲んで、物事を見定めていくことが自分の人生の本来の軸です。

そうした意味において、人生は孤独であり、孤高なものなのだ。

そうだったんだ、周りの人って

仮に相手がどれほど偉い人であっても、立場は何の意味もなさない、物質的な豊かさは精神的な心とは無関係だから。どんなにお金持ちで、その土地の有力者であったとしても、心の豊かさを持たぬのであれば、心の弱き者。

物質的な豊かさが正解だと思い込んだり、正しいか正しくないかの二極しかないと妄想する世界はもう終わり。

もともとは誰かのお役に立ちたいとはじめた活動であり、その結果として、分離や対立を意図的に生んだだけ。相手の立場や気持ちになるために、実際に自分でやってみるしかなかったから。

実際に体験してなお、物事を考え、意見する、そして話し合う。歩みは遅いながら、こうして少しずつ文明は開化してきた。

ただその当たり前のことが、情報化社会となって以降、頭で考えることが主体となりすぎ、考えるために個々人が孤立し分離社会を生み、今現代のような世と成り下がりました。

特に女性にとっては、長くつらい時代であったでしょう、でも根気強く支え続けてくださりました。「遅すぎるよ」きっとそう仰るのでしょうね。でもすみません。これでも精一杯走り続けたのです、許してください…とは言えませんよね。

実際に男たちは、できうる限りを尽くし、対立と分離を作り出し体験しました。その副産物として、医療や化学といったテクノロジーが爆発的に進化し、様々な新しい体験を経たうえで、今まさに精神と物質、陰陽の合一が行われようとしているのです。

今後は、ようやく技術が理想に追いつきはじめ、だんだんと皆の心にゆとりが生まれます。今まさに、この文章を読んでいるスマホがよい例でしょう。

まず弱い人たちのことを考える、これまでと逆の時代がやってきます。

今これが全くできていないのか、というとそうでもありません。知るべき人たちのところに、知るべきタイミングで行き届いてないだけ。もう間もなく、より多くの弱い人たちに救いの手が差し伸べられるでしょう。

ただし、今年中とかそのレベルでのスピードには至りません。世界の津々浦々まで行き届くには、まだまだ何年も何十年も先のことでしょう。

だから焦らず、個々人が毎日を自分らしく過ごせばいいのです。

藤井風さんになれなくても私は焦らない

ついつい私たちは、あの人が言っていたとか、やっていたとか。あんなにたくさんの人が、とそう思いがち。でもそれは違いますよね?

結局は自分だけ。自分の我儘放題に生きればいいと言っているのではないとおわかりだと思います。

例えば、私は藤井風さんにはなれない。どんなに憧れて、どんなに藤井風さんになろうとしても、がんばってがんばって努力しても、それは無理。

何故なら、そうならなくてもいいから。
それなら、どうしてこんなに藤井風さんになりたいと思う?

それは、そうなろうとすることに意味があるから、憧れってそういうこと。藤井風さんに憧れ、近づこうとして、本来の自分に近づけるから。

素の自分に戻り、ありのままを生きるということ。
結果的に孤独感の中を生きることになる。寂しいことですが、結局そういうことなのです。最後に信じるのは自分だけ。

このことに気づければ、もう寂しくなくなるのです。
周りのみんなは、自分のやることなすこと、良いも悪いも、何もかも全部を受け止めてくれる存在。だからもっと見て欲しいってなる。もっと自分を届けたいってなる。
全部で一つであり、自分だから。

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