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ケルト人と謎の古代人スキタイ(5)

<朝鮮半島におけるスキタイの痕跡>

前回までは中央アジアから西ヨーロッパにかけてのスキタイの動きを追ってきました。
本日は、スキタイの朝鮮半島における痕跡を見ていきたいと思います。

由水常雄氏の著書「ローマ文化王国-新羅」には、新羅の王墓からギリシャ・ローマ世界で作られた、極めて珍しい装身具や装飾品が多く発掘された事実が著されています。
発掘された遺跡の時代は、三国時代新羅の4~6世紀のもので、世界でただ一点しか存在しない、ローマ世界で作られた王と王妃の肖像を象嵌したトンボ玉をはじめ、ローマングラス、純金の指輪やネックレス、ブレスレットなどの装身具。ギリシャ渦紋にローマン・ローレルと呼ばれる月桂樹の葉文、ケルト巴の文様に飾られた「貴石象嵌の黄金剣」などがあります。
見出し画像にも使用している「貴石象嵌の黄金剣」ですが、鍔の部分にケルト巴が施されていることから、著者の由水さんはケルト王からの贈り物ではないかと考えているようです。
他にも馬頭を形どった角杯(リュトン)やワインカップ状の土器などのローマ的用要素、そして「ギリシャ神話」の中の聖樹信仰を形式化した樹木型の黄金の王冠などは、中華や高句麗とは無縁のものです。

慶州市の新羅王墓出土の樹木型金冠


新羅がローマ文化をもっていた王国であったとする時代は、「前史末期261年~第2期540年」とされており、この時代の古墳の副葬品から、新羅の貴族文化は北方の「スキタイ文化」や高句麗文化と類似する。とされているのです。
中でも、新羅古墳独特の「積石木槨墳」という墳墓の構築法は、中華にも高句麗、百済にもない「スキタイ人」とその末裔の民族に特有のものである。という点が非常に重要になっています。
新羅の古墳で多く見つかっている樹木型の黄金冠は、南ロシアのアレクサンドロポールのサルマティア人の古墳や、同地方のノヴォチェルカスクでも出土しています。
こちらも大変豪華なつくりとなっており、冠の台輪には紫水晶・柘榴石・真珠を嵌め込み、上部には写実的な樹木2本と鹿三頭を配置しています。
このように鹿と樹木を配置する意匠は、南ロシアからイラン地方にかけて広く広がる図案であり、この樹木は生命水を与える聖樹として、インドの「リグヴェーダ」にも記されているようです。また、ゾロアスター教の聖典である『アヴェスター』の賛歌には、世界の一切の植物の種子を集めた「聖樹」のことがでています。『樹木にとまる鳥はその枝を剥ぎ、あるいは落ちた種子を集めて天に運ぶ。種子はそこから雨と共に地上に落ち、新しい植物となって生育する。』

樹木・鹿飾りの金製王冠(ノヴォチェルカスク出土)

スキタイは自然信仰を取り入れ、大自然を敬い、学びを得ていたと考えられます。その中でもとりわけ「水」を最も重要視していました。
「ケルト人と謎の古代人スキタイ(3)」の中で、スキタイ人の祖先の「タルギオス」は、ギリシャ神話の全知全能の神「ゼウス」と「ボリュステネス河の娘」との子供である。と述べましたが、「ボリュステネス」とは「ドニエプル河」のことなので、「自分たちは川を流れる水に育まれ、先祖として心から敬っている」と解釈して良いかと思います。
更に言えば、『ボリュステネス河流域のステップのヒュライアの森に住んでいた半女半蛇の女を、スキタイ人は自分たちの民族の祖とみなしていた。』
の「半蛇」の「蛇」は、「龍」と共に、蛇行する川を表しており、世界各地
で崇拝の対象となっています。龍神やインドから東南アジアの蛇神(ナーガ)は、時に荒ぶり、時に恵みをもたらす大自然の川を崇め奉るためのものとされているのです。


また話を樹木冠に戻しますが、1978年にアフガニスタンの「ティリャ・テペ遺跡」から金冠が出土し、新羅の金冠とそっくりである、と話題になりました。この地方は、かつてグレコ・バクトリア王国が栄えた地域で、ギリシャ人王国として代表的なヘレニズム国家でした。
この樹木冠の発掘者は、ソ連科学アカデミー考古学研究所上級研究員のヴィクトール・I・サリアニディという人物です。こちらの冠は発掘時に、高貴な女性の額にあり、棺内から発見された「聖なる結婚」を浮き彫りにした黄金の装飾板や、粒金細工のネックレス、有翼のアフロディテ像などから、「スキタイの女王」ではないかと、発掘者から報告されています。アフガンのマギと頻繁に交流を持っていたスキタイであればその可能性も十分に有りうると考えられますが、スキタイの歴史を掌握したソ連(ロシア)がアフガニスタン戦争を開始した1978年に発表されたという点が少々気になります。 ちなみに、日本国内でも樹木冠が発掘されていますので、場所のみ記載いたします。・奈良県斑鳩町 ・群馬県前橋市 ・福井県松岡町 ・滋賀県高島町 ・茨城県玉造町

アフガニスタンの「ティリャ・テペ遺跡」から出土した金冠

スキタイは今まで見てきた通り、遊牧騎馬族で極めて有能な傭兵ですので、褒美として上記した黄金製の刀剣や装飾品などを受け取ってきていたことは、落合史観において既に述べられていることです。

また、スキタイ独特の「積石木槨墳」ですが、新羅古墳以外の地域でも発掘されています。
北アジア、カザフスタンの「イリ川」流域にはサカ族の大規模な古墳群が点在していて、新羅の積石木槨墳と同似の築造法となっています。これらのサカ族の積石木槨墳は、南ロシアに根拠地を置いたスキタイの古墳の築造法を継承しています。そしてイリ盆地のサカ族の領土を継承したフン族もまた、そのサカ族の積石木槨墳を継承していたのです。

スキタイは文字を持たず、できるだけ自らを目立たせず「潜入」という形で隠然と地球運営に力を発揮してきた種族と考えられます。
具体的には、アラン人やサルマティア人の中にも潜入していることは当然として、アラン人の末裔と言われるオセット人には、ナルト叙事詩の元となるスキタイの風習を伝え、コーカサス地方に叙事詩を残しました。
そこにはスキタイ自身、文字を敢えて持たなかったということと、いつか歴史開示するときのためにコーカサスにスキタイ由来の叙事詩を残したのではないかと推測しています。
しかしながら、アラン人の末裔と言われているオセット人自身、北東イラン系とは違う遺伝子を持っているようなので、ここにも一つ謎が残されているようです。

今回、遺跡や発掘物を中心に見てきましたが、積石木槨墳を継承したサカ族やフン族の中にも潜入していると見做すことも十分にできます。
フン族に関して私見では、強大化するローマ帝国に対し、スキタイが潜入し強化したフン族をぶつけてパワーバランスをとったのではないかと考えています。


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