人生の転換期 その② 【インドを旅する】
人生初の『スキ』を頂いた。
itoguchimasakaさん、ありがとうございます。
誰かに見られていると分かると、もっと気持ちを文字に起こしたくなる。入社まであと一週間。時間的な余裕もかなりある。
ということで、私、よっしーの「転換期 その2」にお付き合い頂きたい。今回、調子に乗って、ついつい長く書いてしまった。
二度目の転換期は、いまから丁度4年前、2014年の春にやってきた。19歳、大学2年生の時だ。僕の人生を変えたのは、『インド』だった。
インドに足を運び、リアルなインドを体験した人の感想は、たいてい二極化する。「二度と行きたくない人」と「何度でも行きたい人」 僕は後者だ。
後者の感想を語る人は、僕のように、インドに人生観を変えられた人だろう。
インドは旅人を惹きつける不思議な魅力を持っている。
今回は、そんなインドで、僕が体験した事を語りたい。
この国に行く前、僕は悶々とした大学生活を送っていた。高校の大半を勉強に費やし、念願の第一志望に進学した。大学での専攻は国際関係学だ。中高での閉鎖的な寮生活は、まさに「井の中の蛙」であり、僕は「大海」を知りたかったからだ。
そのときの僕にとって、志望大学の入学が人生最大の目標であり、それより先の人生計画はなかった。そして、大学に入れば、自分の性格を変えて、友達をたくさん作って、エンジョイしてやろうと思っていた。性格を変えることなんて、容易にできると思っていた。その手段も知らないのに。
現実は甘くなかった。同じ学部生の『意識の高さ』にショックを受けたのだ。入学の時点で、自分より一歩先の「目標」を見据えて大学に入学した学生ばかりだった。「志」さえ持っている学生もいた。言い換えれば、自分を持っている『軸』のある学生だ。そういう学生の多くは、「上手な勉強と遊びのバランス感覚」と「確固たる自信」を身に付けていた。もちろん、コミュ力も高い。
そんな中で、『軸』のない自分は、みじめな、ちっぽけな、無為な存在に思えてきた。彼らにとって、僕は、関わるメリットもないし、話も合わない人間だった。学部で友達はほとんど出来なかった。次第に授業をサボるようになり、大学から逃げるように、バイトばかりしていた。
そんな日々を過ごし、一年が経った。もうすぐ春休みというときに、親しい友達に「インドに行かないか」と誘われた。実は、彼も同じ学部で自分のように悶々とした生活を送っていたのだ。
その誘いをうけて、直観的に「行くべきだ」と思った。正直、他の大学に編入しようかと迷っていたぐらい大学が嫌いだったが、インドで何か気持ちが変わるかもしれないと思った。海外旅行は初めてだった。「初海外でインドに行けば、どんな国でも1人で行ける」そんな気もした。
3週間かけて、北インドを中心に6つの街を訪れた。デリー、アウランガ—バード、リシケシ、ブッダガヤ、アグラ、そしてバラナシ。
アウランガ—バード郊外のエローラ石窟とアジャンター石窟。リシケシのヨーガ。ブッダガヤの日本寺。アグラのタージマハル。どの都市でも、かけがえのない思い出が出来た。
その中でも、僕の人生を揺さぶったのは、『バラナシ』という街だった。
その街は、『富と貧』、『汚と美』、さらに『生と死』など、一般的に二項対立で考えられる、あらゆる概念が入り乱れるカオスな場所だった。ヒンドゥー教徒にとって、バラナシの地で死に、荼毘に付され、その灰をガンジス川(ガンガー)に撒くことは最高の死である。葬儀を執り行い、薪を調達し、火葬を行うにはかなりの費用が必要と聞く。ガンガーの岸辺(ガート)では、四六時中、火葬の煙が立ち昇る。人を焼いているすぐ横で、子供や牛が水浴びし、おじさんが沐浴し、おばさんが洗濯している。その光景がカオスさを助長する。お金のない人や乳幼児、動物、僧侶は、足に重りを巻き、そのままガンガーに放り込まれる。だが、しばしば、その重りが外れ、遺体は水死体のようにガンガーをさまよう。
ガンガーの水は、想像を絶する汚さだ。だが、そのガンガーが輝く時間がある。日の出の時間だ。言葉を失うほど美しかった。多分、二項対立のコントラストが激し過ぎたから、そう感じたのだろう。写真は、その時、小舟から撮ったガンガーだ。
バラナシにおいて、『死』は日常にあり、人々はそれを受け入れ、そこで『普通』に生きている。それを見たとき、『死』があるからこそ『生』が輝くことに気が付いた。その気付きは、『自分がどのように死にたいか』を真剣に考えるきっかけとなった。
帰国しても自分の性格は、変わらなかった。友達が一気に増えたわけでもないし、『軸』が出来たわけでもない。だが、心の奥底で、自分の『人生』の意味を問うようになった。どのような最期でありたいかを。「このままでは、いけないな」と考えるようになり、帰国から1年たった頃、大学2年のときに、じわじわとその思考が行動に変わってきた。
インドでの体験は、僕に「自分の人生に向き合うための土台」を作ってくれたのかもしれない。
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