Yoshiyuki Ohashi

感情移入あるいは共感(empatia)について考えてみよう、と。

Yoshiyuki Ohashi

感情移入あるいは共感(empatia)について考えてみよう、と。

最近の記事

伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』36

XXXVI. [羅]町の創建にあたっては諸恒星の協働を用いる。一方、家作にあたっては惑星を。中天に♂をもつ町では、王の多くが剣によって死ぬ。 わたしの判ずるところによれば、すべてではなく、♃と♀の自然本性をもつ恒星の数々を選ぶ。というのもここでは町の建設の端緒に用いられるものについて謂われているから。これらが最大の枢要点、中天もしくは上昇位にあるように。「協働」と言われているのは、最大限用いられるべき諸惑星は枢要角にあるもの、あるいは恒星とよい相をなしているものであるから。

    • 伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』35

      XXXV. [羅]太陽が或る惑星の場所に到達すると、この惑星の活動を変じる。 太陽がある場所つまりその星座でのはたらきは、この星座の主惑星のはたらきを変じる(動かす)。この惑星が最大と呼ばれるのは、これが月を眺めている時である。「動かす」と言われているのは、通常この惑星、つまりこの場所の(主)惑星がもつ(運ぶ)気質を減じるから、たとえば☉が♈にあるなら、♀は♉にある時と同じになる等々。 [希]太陽が或る惑星の場所に到達すると、この惑星の気圏におけるはたらきを変じる。 太陽

      • 伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』34

        XXXIIII. [羅](両光球の)合☌の主(惑星)あるいは最大の尊厳(公準)をもつものが枢要角のいずれかにあるなら、これがこの月に起こることがらのすべてを意味している。 合☌ の主(惑星)とは、この合が起こる星座の主(惑星)つまり合☌の度数で最大の威厳(公準)をもつもの(惑星)。一方、両光球の合の時の上昇位の主(惑星)は最大の威厳(公準)をもつと言われるが、これは五つの尊厳のうち最大の尊厳をもつから。つまり昂揚位等々のうち最初のものがもっとも大きく、最後のものがもっとも小

        • 伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』33

          XXIII. [羅]愛と憎悪は二人の誕生時星図の光球からも、上昇位からも論じられる。従属のしるし(星座)は友情をあらわすものとみなされる。 一方の誕生時星図では☉が♈にあり、月が♉にあり、他方では太陽が♌に。月が処女宮にあるなら、太陽から太陽まで、月から月まではそれぞれ三角相をなしている。これはまた相互交換可能なものとしてあらわれる。たとえば太陽が♍に、☽が♌にあるなら、両者の誕生時星図において両光球は同じ場所(位置関係)をとる。というのも合一の自然本性はこうしたものである

        伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』36

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』32

          XXXII. [羅]ふたりの協和(協調、友情)は、両者の誕生時星図において友情を意味する惑星の相から判断される。 協和(協調)とは同じことを管掌するとともになすにあたって二人が一致(共鳴)していることを言う。学統を指導し、幼児と戯れ、利益のための売買をするにあたって、☿は物事の種と形式(形相)を指し示す。ここでは水星は両者の誕生にかかわる惑星で、適切な相つまり両者の誕生時星図において水星の場所が三角相もしくは六角相(△ aut ✳)にあるなら、この件の統率にあたっては二人の

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』32

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』31

          XXXI. [羅]王国(統治)を意味するものが中間の(中断、排除の、(危険な、殺害のinterficio?))場所にあたる時、この王国の王あるいは君主が死ぬだろう。 王国を意味するものは或る時、つまり或る王国に最初の君主もしくは王が君臨した時に中天を支配するもの。その出発点は、中間(中断、殺害?)の場所に到達する度に、つまり♂あるいは♄もしくはこれの四角相、逆位に、あるいは王(の場所)等々になる。しかしここでそれぞれの町および帝国の支配の変化に注意する必要がある。ローマ人た

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』31

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』30

          XXX. [羅]最初の王たちの戴冠(の時)に注目する。戴冠時の上昇位は成功を収めるに違いない人の昇格(これにつづいて誕生する人)と符合しており、こうした人は王国を興隆(継続)させるだろう。 最初の王たちとは最初に王国を獲得する者たちのこと。ところで星座群はまず同じ三角相にあるものが対応(符合)していると言われ、つづいて相互に六角相で眺めあっているものが女星座は女星座と、男星座は男星座と対応しているところから対応(符合)していると言われる。また、夜間惑星は夜間惑星と、日中惑星

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』30

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』29

          XXIX. [羅]恒星には驚異的で理拠を超えた幸福が帰属される。しかし多くの場合、これらに土星の災厄が帰属される。 特に♃と♀のように、その大きさそのものというよりも、その自然本性が大きいものが、幸運の籤⊕と結びつき、中天あるいは東の初度(クスピデ)にある時には、これらの緯度に昇る諸恒星をとる。中天は経度に符合している。♈の端緒にひとつの惑星があり、♈の端緒が中天にある場合のように、惑星のひとつが中天に来ることもある。しかし他の場所では符合しない。中天から遠ざかるほど相違は

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』29

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』28

          XXVIII. [羅]月と二つの惑星を合させることができないなら、両者と結びつく(性質をもつ)もの(恒星)と合するようにする。 この寸言が選択(占星術)に適していることは明らかである。 [希] 月を二つの惑星と合させることができない時には、それがこれら二つの惑星の気質をもつ恒星と合するようにする。 ここで尋ねられている問いが二つの惑星の意味するもので、月あるいは星図の中で支配的ないずれかの惑星がお互い相をなすに至らない場合、設問を意味するこれら二つの惑星の気質をもつ恒星と

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』28

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』27

          XXVII. [羅]金星は生まれてくる者の四肢に官能(色欲)を生じさせる。ここで四肢とはこれが占める惑星によって支配される部位。 これが♈にあるなら、主要な感覚、特に視覚が歓ぶことになる。♉にあるなら、大食漢となり、諸他の星座ではそれぞれの四肢が適宜はたらくようになる。一方、諸他の惑星に関して謂われるところはかなり難儀(困難)である。しかし正しくこれを調整するなら正しく理解できるだろう。つまり♃が♈に入るなら、未来は人(人格)を見聞きすることだけから予見される。♊にあるなら

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』27

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』26

          XXVI. [羅]意味するもの(指標)である惑星が大地の下あるいは関係のない場所で太陽と結びついている場合にはものごとは隠匿される。しかしその落位から昂揚位へ上り、それ固有の場所にあるなら、ものごとは明らかになる。 (彼(プトレマイオス)によれば)、盗難、姦淫、殺人その他の行為の数々について、人々は秘匿しようとする。一方、戦争における武勲等々については説き聞かせようとする。その理由は、太陽が或ることを意味する惑星と、これが大地の下にある時あるいは力能をもたない場所と合してい

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』26

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》25

          XXV. [羅]出発点の意味するもの(指標)はまっすぐ昇る軌道(直立宮)の場合には中天にとり、傾斜上昇の場合にはその傾斜(クリマティカ)上昇位にとる。 ここで出発点とは、クリマにおける上昇位あるいは中天の初度(カプトゥス)を通る星辰の配置における運動である。一年は上昇位の一々の度数によって意味される。これ(出発点)が上昇位にとられるのは、(星辰が)クリマの(傾斜)上昇をする場合。中天にとられるのは直立宮とともに昇る場合。一方、これら二つの場所が混合している場合については、プ

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》25

          十七世紀仏訳『百言集』評釈 22

          ニコラス・デ・ブールディン『プトレマイオスの百言集あるいはウラニア第二部』 寸言XXII. 月が獅子宮にある時には新しい衣裳を纏ったり、裁断したりしてはならない。これに執着すると邪悪なことになる。 衣裳を変え、これを裁断して着つける前に天を眺める必要があり、その観察にはさまざまなことが要請される。この寸言を解説した者たちは著者が、月と諸恒星の合が長く継続する場合には、衣裳を纏う者よりも長もちするような衣装を纏うことは危険である、と言っているものと解釈している。彼は言う、「

          十七世紀仏訳『百言集』評釈 22

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』24

          XXIIII. [羅]誕生時もしくは年周における角隅(枢要角)での光球の蝕は有害である。ここで上昇位と蝕の場所の度数(離角)から時を勘案する。 誕生時の角隅での蝕あるいは誕生のさまざまな年周の角隅での蝕は有害である(と謂われる)。周回は太陽が誕生時に見つかるのと近接した(最短の)場所に戻る時にあたる。つまり、蝕の時は日蝕では年数を、月蝕では月数を示す。いずれにしてもこれは完全(総数)ではなく、以下のように減じられる。つまり、上昇位と蝕の場所の間の離角を測り、これが180度の

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』24

          十七世紀仏訳『百言集』評釈 21

          ニコラス・デ・ブールディン『プトレマイオスの百言集あるいはウラニア第二部』 寸言XXI. 月が天蠍宮あるいは双魚宮にあり、東の主(惑星)が大地の下にある或る星辰(惑星)と合している時には緩下剤を使うに適している。しかし合するのが地上の場合には緩下剤を摂取した者はこれを吐くだろう。 月その他の星辰(惑星)は(われわれの著者の見解によれば)世界の中にもつさまざまな状況に準じてわれわれの体躯を引き寄せる(魅惑する)。これら(惑星)はわれわれの半球の下を通過するうちにその下部を引

          十七世紀仏訳『百言集』評釈 21

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』23

          XXIII, [羅]月の諸惑星との相あるいはこれとの合は、生まれてくる者を容易に活動的にする(動かす)。惑星が強い場合にはこの運動は能動的となるが、弱い場合には能動的にはならない。 ♃と☽の相は思索(こころ)を正義(判断)へと動かす。こうした想像(ファンタスミ)が自然本性を生み、義なる人を生むとともに、徳(力能)を纏わせる。後述するように、自然本性の高貴さは諸星辰に由来し、逆にそれが習慣に回収されることを忘れてはならない。こうして第二の自然本性が慣習となる。一方、月と♂ の

          伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』23