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マリア・デ・ナグロウスカ『愛の魔術の聖なる儀礼』1932

著者序
象徴は特定の或るものあるいは或る観念を表象〔代示〕するのではなく、意味を限定する〔境界を画定する〕銘記でもない。象徴は扉を開く鍵ではあるが、それだけでなく、この扉の背後に隠された宝を見つける能力が要請される。ここに公にする象徴は「AUM時計」と名づけられる。これは赤子の誕生を、物体的な生を死に霊的な生に蘇る個人の再生を、永劫の律動《リズム》に従い絶え間なく更新される可視的世界の三重の経緯——夕べ、夜、新たな朝——を司る法〔法則〕そのものの知解を許す鍵である。この律動《リズム》は継続的で神的な永遠の諸相に照応している。この道は、父の、子の、母の相貌のもとにあらわれる。まず下降、つづいてこの下降に対する戦い、そして最後に母‐自然を介した神の春〔新生〕の勝利。しかし春は一季節しか続かず、新たな下降、新たな戦いがつづき、これが永劫に繰り返される。この公正無私〔無関心〕な意志の崇高な賢明さについては、関心〔利害〕によってのみ動く卑俗な霊に了解されることは決してないだろう。一方、浄化された個人はその美しさを了解する。「AUM時計」はインドやエジプトに由来するもので、われわれもその価値について実証〔体験〕したところ。これは次のようなものである。まず矩象、これは世界のさまざまな矩象〔四分〕に類同であるが、ただその相違として、時の経過が右から左へと置き換えられていて、通常の時計のようにその逆ではない。十一時に下降がはじまる。これは前頁には黒線で描かれており、数11から出発して、2へ、そして10、4、8へと移行し、最後にソロモンの印章つまり交差しておかれた二つの三角形であらわされる6に到る。これは神性の質料(あるいは自然)への下降と、人を介した質料の霊的更新の意志を象徴している。この象徴そものもはAUM全体の図〔描写〕において、吸気、排気、休止からなる呼吸をもあらわしている。2、10、4、8で折れ曲がる〔分節される〕この線は女性線である。というのも下降は女性を介して、女性のうちで男性によって、自然本性のうちでは神によってなされるから。叡知の探究者はみな、この基本的真実について長く瞑想しなければならない。ところで、下降線はどうして折れ曲がって〔分節されて〕いるのか、なぜこの女性線は2、10、4、8で屈曲しているのか。これらの数には何の意味があるのか。われわれが参照できる知識によれば、11は入場(女の中への男の侵入、自然本性の中への神の浸透)を象徴しており、2は逆性の二つの要素の婚姻をあらわしており、そこからこれが新たな折れ曲がり〔分節〕の出発点となり、角が形成される。数10は2と5の積〔産物〕であり、後者[5]は女と男の擬人化である。これがわれわれの図中の10時で、或る意味、この瞬間に女とともに奈落(質料《マテリア》)の深みに墜落〔失寵〕する男の敗北をあらわしている。4時は等価な二つの逆性要素であり、ここで自然本性の聖なる樹木上の霊の十字架刑が証される。これは放棄〔退位〕した男の苦悩であり、受胎した女の苦痛である。この時、新たな角が形成され、黒の歩みは8に向かう。この数[8]はあらたな時代の最初の日をあらわしており、ここで女は男を支配し、質料が霊をその臓腑の深みに幽閉する。8時はそこに死に、そこに蘇る奈落を画していることが分かる。数6は下降の終点であるとともに、再生を規定する時でもある。これは俗人にとってはおおいなる玄義〔神秘〕であるが、秘儀参入者にとってはもっとも美しい光である。個人は罪深いとはいえ、この瞬間から上昇をはじめる者は永遠の生に蘇る。この移行は多くの人々にとっては危険であるが、神の子は勝利し蘇る。これがキリストの勝利の玄義である。
7から5、5から9、9から3、3から11と、図中の白線にしたがって勝利者は霊性へと昇る。一々の角(これらは男性の角である)で、人〔男〕の霊的な諸力能は増大し、彼はあらたな活力と権能〔潜在力〕を得て扉の前にまで到達する〔数11〕。とはいえ、この扉を前にして、至高なる試練が彼を待ち受けている。ここで男はあらためて女を、花嫁を見出す。彼はあらためて彼女と結ばれるよう誘われるが、彼は自制して、溢れ出る〔射精に向かう〕性的活力を抑え、この活力を完全に霊に捧げる。この試練はたいへん危険である。というのもこの試練に敗れる者は理性を喪失することになるから。勝利者はたちまち1に投影されるproiecto。これが質料の牢獄からの解放をあらわしている。彼は聖なる王であり、人々を支配する権能を授けられる... 「魔術的な愛の聖なる儀礼」はこの王の自然本性的な形成のものがたりである。本書は配慮ある慎重な読者たちに献呈される。今日あまりにも夥しい方法が「王の魔術の体験」を容易にするために提示されている。そこには自惚れからする追従の巧緻の数々が溢れているが、神を冒瀆するばかりで、いわゆる「科学的」な結果をもたらすものはみあたらない。「叡智の三つの星辰」が照らす完全な成果はわれわれの図の1、3、2〔5、3、2?〕であらわされている。これらは矩象の1、12、11にあたる。これらの星辰は父、子、からなる神の三角をかたちづくる。いずれにせよわれわれの論議において、3(母の星辰)と2(子の星辰)は、われわれの主人公たち(ミーシャとクセニア)がいまだ儀礼を完了しておらず、さらに重要なメシアの誕生のために留保される第二の婚姻を照らし出すためにだけ輝いている(1=5)。この最後の星辰、暁に輝く星辰(明けの明星)はわれわれの時代に属するものではない。いまだわれわれの苦悩の時代は完了しておらず、人はやっといま、霊性と第三項〔位格〕の時代へと昇りはじめたばかりで、再メシアの時代の到来までにはまだまだ時間がかかるに違いないから。


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