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なぜ政治は失敗するのか。あるいは、実現不可能なことについて。

今日も今日とてTwitterを開けば、野党支持者による政権への無茶苦茶な批判と、与党支持者によるこじつけとしか言いようがない擁護が、真顔、あるいは激怒とともに乱舞している。

余裕のあるリベラルは余命信者のような致命的なまでに愚かなウヨクジジイを完膚なきまでにバカにし、あまり頭のよくなさそうなネトウヨの英語のミスを何年もバカにし続けている。弁の立つ保守派は、心理的に厳しい状況に置かれ、怪しげな被害感情を煽る情報に翻弄され、あまり頭の良くない発言をしているサヨクの矛盾を叩き続けている。まぁ、別に、それは悪いことではないが、そういう不毛な闘いが永久と思えるほどに続いている。

国政に目を向けてみよう、常に野党は政府与党の政策の問題点を検証し、何か問題が無いかということを指摘し続けている。政府は、それに対してのらりくらりと躱し、そして時に与党議員が野党議員のスキャンダルや不品行を非難するという姿が繰り返されている。はっきり言えば、建設的な議論などというものは、一切存在していない。

この記事では、なぜ、政治においてほとんどの場合、建設的な議論に失敗し、機能不全に陥るのか。このことについて議論をする。

与党と野党の目指すもの

野党は、人々の暮らしく向きを良くしたい、社会の平等を達成したい、様々な目的を掲げている。しかし、そんなことはどうでもいい、単なる権力の亡者でも、悪徳な政治家であっても似たような目的を掲げるだろうし、ちゃんとした理論構築し、丁寧な説明を行い、誠実なように見せることは出来る。もし、それができないというならば、人は小説や映画やアニメのような作り話で、説得力を持ったドラマは作れない。つまり、実際のところ、野党の真の目的というのは誰にも分らず、最終的に信頼する以上の方法は存在しない。

では、野党が実質的な目標としていることは何だろうか。これは簡単に予想できるし、この予想はほぼ間違っていない。それは、単純に政権奪取である。おおよそ、政党というものは、政権に就き、自らの主張する政策を実現していくことこそを目指している。もちろん、何かしらの方法で自らの政策の一部を与党に実現させるというのも目指しているが、それは後述の理由から非常に困難である。

それに対して、与党の目指すものは、まず当然に、自党の目指す政策を実現していくことだろう。そして、それを実現する前提条件となる、政権の座を維持するということが与党にとって、至上命題となってくる。

政権を巡る争い

つまり、究極的に、与党と野党の対立というのは政権を巡る政治的争いであり、そして、政治的争いというのは、お互いに相容れないからこそ起きるものなのである。もし、お互いに妥協可能な存在なのであれば連立政権が誕生するだけである。そうではない、ということは相容れないということに他ならない。

さて、この政権を巡る争いにおいて野党はどのように振る舞うだろうか。野党は政権奪取を目指しているということは確認した。ということは、総選挙において多くの議席を獲得するということを目指せば良いとなる。では、総選挙において多くの議席を獲得するためにはどうしたら良いのだろうか。一つは、多くの日本国民に野党を支持してもらうということである。しかし、それは難しい。基本的に、政権与党は目立つので支持者が多くなる傾向にあり選挙では優位であるし、自民党の場合、全国津々浦々の集票マシンとも言うべき地域を基盤とした組織がある。さらに、今の与党に不満が無いのであれば、無党派層の多くは与党に投票する。実は、日本の総選挙においては、無党派層が最大多数を占めており、これを動かすことが選挙で勝つ唯一の方法となっている。

では、この無党派層を動かす方法というのは何だろうか。無党派層は不満が無いのであれば、与党に投票すると先ほど書いた。つまり、逆に、与党に対して不満がたまってくれば、野党第一党に投票するようになる。結局のところ、2009年に起きた民主党への政権交代は、2008年のリーマンショックをきっかけとして、需要を喚起できず失われた20年を演出した上に、改憲だの靖国だのにうつつを抜かす自民党に対する無党派層の懲罰であったのである。

要するに、野党にとっては、与党の政策を失策と批判し、あるいは与党の政策の問題点やスキャンダルをアピールし、あるいは与党が出さなかった、あるいは出せなかった、良さそうな政策を対抗案として提案していくのが利益になるということである。国民が与党を信頼しなくなり、無能だ、浮ついている、偉そうだ、悪徳に及んでいる、などと判断するようになり、そのような中で下落した支持率に押される形で解散となれば、政権奪取の道はだいぶ近くなるだろう。

つまり、野党にとっては、与党の失点を稼ぐことが非常に重要になっているのであり、そうなると、与党の政策に対して問題点を探し出す必要性が出てくるし、スキャンダルを意地でも追及し続ける必要性がある。あるいは、万が一、与党が野党の主張する提案を取り入れたならば、それを提案できず、採用も遅れた与党を全力で叩きつつ、素晴らしい提案をした自分たちを褒めることになる。もちろん、このような野党の行動を批判的に見る人も居る。しかしながら、それは、そもそもほとんどが与党の支持者が準支持者であり、絶対に野党の支持者にならないのだから、全く相手にする必要が無い。

逆に与党はどう振る舞うべきだろうか。それは、野党の批判に対して、失点を取られないように、問題ない、あるいはちゃんとやっているといったことを、失言や、あとで嘘となってしまう可能性のある言質を取られないようにしながら、最小限の情報で、淡々と回答していくことである。当然に、野党の提案にたいしてイエスなどとは言ってはならない、それは単に与党の失点、野党の得点になってしまうからである。そして、今の与党は、株価を維持し、多くの国民の暮らし向きをまあまあの水準に保つことが、最近は重要だと見ているし、実際にそれは今のところ当たっているようである。

つまり、野党は与党に失点を与え、できれば得点できればうれしいと考えており、与党は出来れば得点したいが、それ以上に最低限の基準を満たして不満を貯めさせないようにしたいと考えているのである。

なぜ、提案は通らず、話し合いは成立しないのか

もし仮に、あなたが野党支持者、あるいは野党議員だったとして、「真に国民のために役に立つ提案」を思いついたとして、本当に真摯な気持ちで、国民のために実行してほしいと提案したとしよう。さて、与党はどのように反応するだろうか? 当然のごとく与党はそれを採用しない。なぜならば、与党側は、あなたが本当に真摯な気持ちで提案しているだけなのか、あるいは与党に失点を与え、攻撃材料にするために提案しているのか、判断することが出来ず疑うしかないし、かつ野党に得点を与えるような真似は極力避けたいからだ。

もし仮に、あなたが与党支持者、あるいは与党議員だとして、「真に国民のために役に立つ提案」を思いついたとして、本当に真摯な気持ちで、国民のために実行する必要があるから委員会で通してほしいと野党の委員にお願いしたとしよう。さて、野党はどのように反応するだろうか? 当然に、その提案の粗を探して批判し、状況次第で時間切れになってしまいそうなら、与党がお願いせざるをえない状況に追い込み、政治的に優位に立つための人質にする。既に、与党側が「通してほしい」弱みを見せているのだから、交渉は楽だろう。こうやって、与党を追い込んで失点を稼げば、政権交代に一歩近づく。

当然に、このような状況においては、与党と野党の間で信頼というのは成立しようがない。相手が寝首を掻こうとしている恐れがあるのに、その相手の前で居眠りをするバカは居ない。当然その状況であれば、真摯な国民のための議論などということは成立しない。

もちろん、実際の与党の政策は、ほとんどが国の運営のために必要なことを、官僚がとりまとめたものに過ぎず、実際にやるしか選択肢はない状態で、野党も最終的には賛成している。しかし、野党は一つ一つ、与党の失点を狙っているというのは、否定しがたいと言うしかない。

議論を成立させるために

実は、筆者は、不可能と考えている。

というのも、先進国はグローバル化により、ここ30年ほどの間に新規に参入した労働者が組合に組織されず、リベラルから離隔したこと。リベラルが社会主義の夢を喪失してしまったこと。それらを背景に、大衆からの遊離が進行してしまい、保守派との対決姿勢を示すことがアイディンティティとなってしまった節が見えるからだ。

逆に、保守派は、多くの労働者にとって敵となる移民を非難したりすることで大衆的な支持を拡大してきた。

筆者は、恐らくこのような環境では、どうしようもないと考えるのである。

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