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【百年ニュース】1921(大正10)8月8日(月) 広島市の比治山にある陸軍兵器支廠で爆発事故。死者7名,重傷者21名。四度の大爆発で広島市内に恐怖拡がる。第5師団(師団長山田陸槌中将)はシベリア出兵でウラジオストクに派遣され1920年8月に広島に帰還したが,還送の弾薬は安全針が外れる等管理不徹底だった。

広島市の比治山にある陸軍兵器支廠で重大な爆発事故が発生しました。死者は7名、重傷者21名にのぼりました。弾薬が花火のように宙にさく裂したことが当時の新聞報道でわかります。広島に駐屯する第五師団(師団長は山田陸槌中将)はシベリア出兵でウラジオストクに派遣され、前年の1920年8月に広島に帰還しましたが、そのときに環送されてきた弾薬の管理ミスが原因でした。

海軍軍務局長(菅野尚一)宛て報告書「広島比治山兵器庫爆発原因」
1921(大正10)年8月22日付

取扱上の不備と推定せらる。爆発は銃用榴弾格納筐を取り落としあるいは運搬中激衝を与えたるに起因するものの如し。右榴弾は浦塩(ウラジオ)より環送のものにして安全針の離脱せるもの混入の疑いあり。本原因は先年下関における爆発と同一なり。なお今回同時に搬入せる物品は押収火薬・火工品および浦塩より環送の強火薬・火工品にしてその種類の夥多なると,年齢古きものの混ざると,乱暴なる取扱いを経たるもの少なからざると。性質・成分など不明のものも混ざるとにより,原因の探求は複雑至難と認めらる。

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