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【百年ニュース】1921(大正10)6月10日(金) 旧肥前佐賀藩主の鍋島直大(74)が危篤状態となる。1861(文久元)16歳で父鍋島直正から佐賀藩主を継ぎ,1871(明治4)廃藩置県で佐賀藩知事となるが辞し,岩倉使節団に随行し米国と英国留学(オックスフォード)。のちイタリア公使となった。

旧肥前佐賀藩主の鍋島直大(74)が危篤状態となりました。鍋島直大は1861(文久元)年に16歳で父鍋島直正から佐賀藩主を継ぎ、1871(明治4)年には廃藩置県で佐賀藩知事となりましたが辞職。岩倉使節団に随行して米国へ留学したのち、さらに英国オックスフォード大学に進みました。

1880(明治13)年に鍋島直大は駐イタリア王国特命全権公使としてローマに赴任しました。2年後に次女が誕生し、「イタリアの都の子」の意味で伊都子(いつこ)と命名されました。伊都子は1896(明治29)年に梨本宮守正王と婚約し4年後に結婚。この二人に生まれた長女梨本宮方子女王は、1920(大正9)年に大韓帝国最後の世子、李垠の妃となりました。

鍋島直大2

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10梨本宮伊都子

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李方子



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