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【百年ニュース】1921(大正10)12月22日(木) 医療大麻の推進者ブラウニー・メアリーがシカゴで誕生。本名はメアリー・ジェーン・ラスバン。70年代後半からサンフランシスコで大麻入りブラウニーを製造販売し三度逮捕される。90年代には医療大麻運動の象徴的存在となった。1999没,享年76。

医療大麻の推進者として知られる社会活動家のブラウニー・メアリー(Brownie Mary)がイリノイ州シカゴで誕生しました。本名はメアリー・ジェーン・ラスバン(Mary Jane Rathbun)といい、保守的なカトリックの家庭で育ちました。ミネソタ州ミネアポリスに移ると保守的なカトリック学校に通いましたが、13歳のとき教師である修道女と口論となり、のち家出をしています。

ミネアポリスでウェイトレスとして働きながら女性の中絶の権利を推進する社会運動家として活動していましたが、第二次世界大戦中にサンフランシスコに移ります。そこで米国慰問協会(USO)の男性と結婚し、娘ペギーが生まれましたがすぐに離婚し、一時はネバダ州リノに拠点を移しましたが、ペギーの交通事故死をきっかけにサンフランシスコに戻りました。

70年代後半からサンフランシスコのカストロ地区のカフェでウェイトレスをしていたとき、大麻合法化運動のリーダーであるデニス・ペロンと出会います。メアリーは大麻を混ぜたブラウニーを「魔法のビスケット」と称し販売を始めます。

1980年になるとメアリーは1日約50ダースの大麻ブラウニーを焼いていたとされますが、1981年1月14日おとり捜査官による調査に伴う警察の家宅捜索を受け、初めて警察に逮捕されます。のちメアリーは大麻ブラウニーの製造販売で三度逮捕されることになりました。

1990年代に入ると医療大麻運動が盛り上がりを見せ、メアリーはエイズ患者への大麻ブラウニーへの配布によって運動の象徴的存在と見做されるようになります。1999年4月6日に心臓発作で死去しましたが、追悼記念集会には多くの支持者が集まりました。享年は76歳でした。

ブラウニー・メアリー(1921-1999)
ブラウニー・メアリー(1921-1999)
ブラウニー・メアリーの訃報を伝える新聞記事
大麻入りブラウニーを焼く「ブラウニー・メアリー」


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