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【百年ニュース】1921(大正10)4月30日(土) 大日本麦酒株式会社の博多工場(現アサヒビール博多工場)竣工。エビス・サッポロ・アサヒの3ブランドを擁する大日本麦酒は当時の最大手。戦後不況による需要減でキリン,カブトとの協定価格55銭の2割下げ観測が出ていた。社長は「日本のビール王」馬越恭平。

日本麦酒株式会社の博多工場(現アサヒビール博多工場)が竣工しました。エビス・サッポロ・アサヒの3ブランドを擁する大日本麦酒は当時の最大手のビール会社でした。第一次世界世界大戦後の反動不況による需要減に見舞われ、キリンやカブトと結ばれていた協定価格の55銭を2割下げて、需要を喚起するとの観測が出ているときでした。日本麦酒の社長は「日本のビール王」馬越恭平です。

1906(明治39)年、日本麦酒(馬越恭平社長)、札幌麦酒(渋沢栄一社長)、大阪麦酒(鳥井駒吉社長)の3社が合併し、大日本麦酒株式会社が設立されました。三社合併後の新会社社長には馬越が就任しました。この合併により当時の同社のビール国内市場占有率は、なんと79%にまで高まりました。馬越は三井物産の前身出身。三井物産の前身となった井上馨創立の貿易商社「先収会社」時代からの重役で実業界の大物でした。馬越は1892(明治29)年、三井物産から傘下の日本麦酒に派遣され、そのまま日本のビール業界を牽引しました。

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馬越恭平

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渋沢栄一

鳥井駒吉

馬越恭平2


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