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新卒1~3年目の業務実績_コンクリート製品の設計業務

土木工学科卒だった私は、ドラえもんに出てくる土管などをつくるコンクリート製品メーカーに入社し、設計課に配属されました。
小学校~大学まで「フツー」だった私。もし工場や営業に配属されていたら退職していたかもしれません。
ラッキーだったと思います。

また、コンクリート製品メーカーなのですが
社員に本職である土木工学科卒の社員は希少だったのも
ラッキーだったと思います。
大学時代の下地が仕事に活かせました。(土質力学・応力力学・材料工学など)


1年目は週末のデートのために働いていた感じです。
いかに早く帰るか?しか考えていませんでした。
とはいえ、設計職なので残業はしょっちゅうで徹夜もしましたね。
残業代も月20時間しか付かなかったですが、特に不満を言ったことはありませんでしたね。
そういう時代だったといえば、それまでですが。


2年目の時に覚えているのが大島空港の排水構造物を担当したこと。
当時誰も設計したことのない航空機荷重を調べ、設計対応しました。
今のようにインターネットはなかったので、本を買って、自分で調べて対応したものです。
徹夜したなー。


3年目は設計職の総まとめ。みたいな感じ。
福島県の小高にある構造物の設計対応をしました。
この物件は、コンクリート製品の技術屋としてのキャリアで分岐点になりましたね。
バナーに貼ってあるのが、竣工写真です。

当時、一番売上を上げていた営業の方の仕事で
スタートが「いいから。今から福島に来い」と19時に言われ、
なんとか乗った電車が、途中までしか行かず、真っ暗な夜道を歩き宿を探し、翌日現場入り。という状況。いまじゃ考えられない仕事の振られ方ですよね(笑)


その当時、日本最大の高さとなるコンクリート製品の壁でして、
当然?か、お客様は大手ゼネコン。しかもこれだけの案件だけに設計本部のエースとの折衝がありました。

それだけでなく、社内としても初づくし。コンクリートを固める型枠も今までにないもので型枠メーカーに行って工場も見たうえで設計に反映させたり、造るのも現場に近いグループ会社の仙台工場。コンクリートの打設方法も工夫する必要があったりで、何度も泊まり大変でしたが行くたびに萩の月をいただいたり、サスペンス劇場でよく使われる松島の海沿いの旅館で食事させてもらったりと、仕事でなきゃできない経験ができました。施工方法も業界初の工法を取り入れないと実現できないもんだから、工事部の方と打ち合わせしながら現場を納めました。
今思うと、よく乗り切ったな。と思います。

そんな実績もあり、20年ぶりかに技術屋として若手社内表彰を受ける事ができました。

4年目を迎え、新製品開発課に異動します。(つづく)

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