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4~6年目の業務実績_製品開発仕上げケツ拭き

【概要】
(どんな環境で)
立ち上げ2年目の新製品開発課に異動
3つ上の先輩と1つ下の後輩の3人体制
正直、少数精鋭部隊だったと思います。
要求は厳しく、指摘・指導・説教の打ち合わせが半日以上行われることがザラでした。
そんなこともあり、先輩が退社し、私と後輩の2名体制になった。


(どんな任務を持ち)
新製品の受注は決まっており、現場に納める最終仕上げが残っていました。
なので新製品の最終仕様決定、無事納品する任務を持ちました。


(自分は何を実行して)
「前任者がこう設定したから」は言い訳になるので全て却下されるなか
1つずつ仕様を決定していきました。
仕様承認を得るため、国交省OBと説明周りをすることもありました。
商品チラシも自主作成しました。
国交省新技術登録をする折衝もしました。
会計検査対応も発注者と共に行い乗り越えました。
工場からの製造上クレームも受けながら、作り上げました。
超怖い孫請け業者の現場職人と混じって、一緒に据え付け工事もしました。(一緒に汗をかくと、いろいろ協力してくれるようになりました)


(結果どうだったのか)
5商品、すべて製品化しました。
結果、20年ぶりに技術者として若手社員表彰を受けました。


(振り返ってみてどう思うか)
めちゃ厳しい時代でした。正直、鍛えられたと思います。
でも、楽しかったです。
激務ながらも、夜な夜な、先輩と大手町でランチカーのビジネスプランを立てたり(やりませんでしたが)
国交省での商品プレゼンロープレを何度もしたり
いろんな経験ができました。
デキる先輩が退社してしまったこともあり、技術職の若手の中では一番の地位になれたと思います。


【ストーリー】
4年目を迎え、新製品開発課に異動。
会社として新製品開発課が立ち上がって2年目で、新製品を上市するステージでした。

ところが、私が異動して半年で開発課責任者が退職。
そんな中、新製品の受注は決まっており、現場に納める最終仕上げが残っていました。

バナーの写真は、思い出の現場の1つ「大柏川」
1人で図面書いて、1人で工場指示して、1人で現場行って川に入って工事業者の方と一緒に施工して、不具合を現場から工場に指示して。。。
やっとこさ納まった現場。
何事もなくて、本当よかった。

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