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嘘をつくゲイ:10年ぶりの同僚との飲み会

数か月前に、前々職の同僚から約10年ぶりに突然連絡がありました。
何となく今何しているか気になった、とのこと。
そして、先週かつての同僚4人で飲み会をしました。

10年という時の流れ

元同僚の内訳は、5歳くらい上のAさんと、8歳くらい上のBさん、
同い年のCさんというメンバーでした。

Aさんが連絡をくれて、Aさんとは前もって「Bさんも呼ぶ」と聞いていたので、複数人の飲み会であるとは知っていましたが、
Cさんがいるとは知りませんでした。

お店に着くとCさんだけ先に付いていて、
「おぉ、ケンゾー君!久しぶり~」と席を立って声をかけてくれました。
あれっ、こんな人いたっけ、と内心思いながらも「あ、、お久しぶりです~!」と挨拶をしてヘコヘコと頭を下げながら着席。

僕の頭の中は超高速回転で過去の記憶を引き出しを「アレでもない、コレでもない」と開けては閉めるを繰り返しているのですが、
まったくCさんの記憶にたどり着けない。

「元気だった?何年ぶりだろうね?」などと声をかけてくれる様子を見ると、
相手は僕を覚えているし、僕との共通の思い出を持っているようでした。

僕は人の名前を覚えるのが苦手で、「顔は知っている、どんな人かも知っている、けど名前が思い出せない!」ということは、たまにあるのですが、
「顔も知らない、どんな人か思い出せない、名前もわからない」という状態は初めてのことで、パニックでした。

「〇〇さんは元気ですか?」とか「あれから転職したんですか?」とか、
Cさんとの思い出に直接触れない領域の話をふっていると、
僕の言動に違和感があったのか、
「ケンゾー君、俺のこと覚えてる?」と核心に迫る質問をされてしまい。
「も、もちろん覚えてるよ~!忘れるわけないじゃないですかー!はははー」と嘘をついてしまいました。

そうこうしているうちに、AさんとBさんが合流し、
二人の会話からCさんの名前を聞き出し。それから、さりげなく名前を呼びながら話して記憶のピースを探していくのですが、
Cさんとのエピソードを聞いても、薄っすらと「そんなこともあったかもな…」と記憶の霧の向こうに、ぼんやりと輪郭が見える程度の思い出しかない。

他の元同僚の話はどんどん思い出して「あー、そんなこともありましたね!」なんて手を叩いて笑うのですが、
Cさんとの思い出は霧の向こうにあるままで、霧が晴れる気配がない。
なぜ、僕はCさんとの思い出を記憶から消してしまっているのだろうか。本当にCさんは存在したのだろうか。これは「世にも奇妙な物語」的な世界に入り込んでしまっているのではないか、と疑うほど。

ところで、AさんとBさんは10年近く経っているのに、つい数か月前ぶりくらいの違和感のなさ。
何より見た目が全く変わっていなくてビックリしました。
最近のアラフォー、アラフィフは若いですね。
10年前の姿とほとんど変わらずキープしているのは逆に怖いくらい。
「AさんもBさんも全然見た目変わって無いですね!どうやって体型とか維持しているんですか?」という話をしていると、
Bさんが、「Cは結構変わったよな。落ち着いたというか」と発言。

どうやらCさんは見た目が変わったらしい。それもあって、余計に記憶と結びつかないのかもしれない。
あと、話を聞くかぎり、Cさんは僕が転職する直前ぐらいに一緒に仕事をするようになったようで、かなり短い期間しか同僚としての時間は無かったようです。
一方で、Cさんとは地元が同じで、地元に共通の知り合いがいることも発覚しました。

それでもカミングアウトは出来なかった

もはやほとんど仕事の接点はない関係ですし、
結婚しているかとか、彼女はいるかとか、そういう話を聞かれたら同性のパートナーがいることを言ってもいいかな、と思っていました。

ただ、お酒も進んで皆が酔っぱらってきたころ、
「そういえば、ケンゾーは結婚してるの?彼女は?」と話を振られたところ、
一瞬、Cさんは地元が同じなんだよな、ということが頭によぎり、
「いや、結婚してないです。彼女はいますよー」と嘘をついてしまいました。
「どうやって出会ったの?」と聞かれれば「合コンです」とか、
息を吐くように嘘をついてしまう。

嘘をつきながら、自分で話した設定を記憶して、以降の話に矛盾が生じないように脳内で警戒網をしく。
酔っぱらって意識が混濁していても、自分が話したノンケ男性の設定を記憶し、それらに関する自分の発言を検閲する機能は、クリアな状態で維持出来るんですよね。
これって特殊能力かもしません。

ただ、今回は気が緩んでいて、他のコミュニティで話した内容との整合性が取れない事を言ってしまったので、
他のコミュニティと混ざり合うようなことは回避しないといけないなと思いました。

これは、ゲイを隠す、ということに限らずなのですが、
僕はコミュニティによって自分が演じる人格がかなり違うタイプの人間なので、
自分の属している複数のコミュニティが混ざり合う場が苦手です。

極端な例を言うと、家族に見せている人格と、仲良しのゲイ友達に見せている人格は違います。
割と誰にでもある普通のことだとは思いますが、僕の場合はその乖離が大きいうえに、こうやってコミュニティごとに嘘のノンケ男性の設定を創り上げていたりするので、
複数のコミュニティで共通の友人などが出来ると、
整合性を取るために新たな嘘をついたり、それらのコミュニティで演じているものの中間的なペルソナを演じたりして、かなりのストレスを強いられます。

そういった意味で、地元と職場の僕のことを知っているCさんは僕にとってはちょっとした要注意人物です。
ひょっとすると、Cさんとの記憶は自分にとってストレスになるようなことが多くて、脳内から抹消してしまっていたのかもしれません。

もっと自分をさらけ出して自由に生きられたら、人生がもっと楽しくなるのかもしれないと思ったりします。
自ら生きづらい生き方を選んでしまっている感があって、
もっとこう、「This is me!!」って感じの生き方を出来るようになりたいな、と。

ただ、潜在的な意識でそれを強く拒絶している自分もいることに今回気づきました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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