日本語の単語に「性」という分類はあるか――ヒカル君、ヒカリちゃん――

ラテン語には、名詞や形容詞に「性」という分類がある。

一般名詞に関しては「numerus(数)は男性だ」というように性別がないものに対して性別をこじつけているような例が多いが、人名に関しては実際の人間の性別と対応している。つまり、男には男性名詞の名前が与えられ、女には女性名詞の名前が与えられるのである。

たとえば「~~ウス」という名詞は男性名詞であるので、この名前の持ち主は男性であることが分かる。「~~ア」という名詞ならば、女性である。

さて、日本語にも、曖昧ながら似たような例があることに気が付く。

「ヒカル君」と「ヒカリちゃん」、「ミノル君」と「ミノリちゃん」、「カオル君」と「カオリちゃん」、「アユム君」と「アユミちゃん」などである。

もちろん、男でも「ヒカリ」「ミノリ」「カオリ」「アユミ」という名前の人はいるだろうし、女でも「ヒカル」「ミノル」「カオル」「アユム」という名前の人はいるだろう。

しかし、傾向を見れば完全に半々というわけではなく、「~~ウ」という人名は男側に偏っており、「~~イ」という人名は女側に偏っていることに気付く。この偏りは注目に値する。

日本人は「ウ」という音に男性的な響きを感じ、「イ」という音に女性的な響きを感じるのであろうか。

言われてみるとそのようにも感じられるが、しかし、「タカシ」「キヨシ」などの形容詞の例では「イ」で終わるのに男性的であり、「ナツ」「シズク」などのは名詞の例では「ウ」で終わるのに女性的である。
音の響きも多少は関係するとは思うが、「~~ウ」と「~~イ」の傾向は、動詞の範囲外にまで及ぶようなものではなさそうである。

ここで形容詞の例が出たので、形容詞について考察してみる。

「キヨシ」「タカシ」は男性名として使われることが非常に多い。「アツシ」「ヒロシ」「タダシ」など、ほかの形容詞についても考えてみても大抵は男性名である。
しかしながら、「キヨ」「タカ」など「シ」をはずした形ならば、少し古風ではあるものの、女性名となる。
もしかすると、音が重要なのではなく、何か文法的な形に対して性別を感じ取る文化が日本語にはあるのかもしれないという仮説が浮上する。

また、日本語の用言には動詞と形容詞のほかに形容動詞というものもあるので、それについても考察してみる。

形容動詞の例としては「豊かなり」「静かなり」というものがあるが、これはそのままの形では名前としてはほとんど使われない。ただ、語幹部分のみを取り出した「ユタカ」「シズカ」は人名としてよく使われるので、それに注目して考えていく。
ざっと確認したところ、「ユタカ」「アキラ」は男性名であるが、「シズカ」「ハルカ」「サヤカ」「ホノカ」などは女性名である。形容動詞には女性名がやや多いような気がするが、男性名もそれなりにある。

そもそも形容動詞の語幹というものは、ほぼ名詞のようでもある。これは本当に形容動詞の特徴とみるべきなのでろうか。それとも名詞全般の特徴とみるべきだろうか。

名詞についても考察してみる。

まず、よく名前に使われる名詞は植物名であろう。植物名は圧倒的に女性名が多い。これは草花のイメージから来るものであろう。
動物名はどうであろうか。そもそも動物名はあまり名前には使われないが、かろうじて使われうる例に注目すれば、「ツル」「ウシ」「トラ」などは女性名である。
このほか、幸せの象徴である「トミ」「サチ」も、土地である「クニ」「サト」も、文化資源である「キヌ」「フミ」も、季節である「ハル」「ナツ」も、生まれ月である「ヤヨイ」「サツキ」も、大抵は女性名である。
「トミ」や「ヤヨイ」などは動詞の連用形から来ている言葉に見えるが、仮に動詞として解釈しても、既述の「ヒカリ」「ミノリ」と同じグループに属するものにすぎず、女性名であることには変わりない。

ここで、男性名としても使われるような名詞を挙げてみると、「マコト」「ツバサ」などがあるが、あまり多くはない。「ジン(仁)」「リク(陸)」「レン(蓮)」など音読みの単語も含めれば嵩増しできるものの、女性名の例と比べて、比較的新しい名前が多そうである。

ここまで、動詞、形容詞、形容動詞、名詞について考察してきたが、全体を眺めてみると、どうやら名詞寄りの名前は女性名になりやすいようである。

たとえば、同じ動詞でも、「ヒカル」はいかにも動詞的であるのに対し、「ヒカリ」は名詞的である。これは「ミノル」と「ミノリ」など、ほかの例でも同様である。動詞のなかでも名詞寄りの形が女性名として使われるのである。

形容詞についても、「キヨシ」はいかにも形容詞的であるのに対し、「キヨ」はいくらか名詞的である。形容詞のなかでも名詞寄りの形が女性名として使われるのである。

形容動詞の語幹と名詞については、もとから十分に名詞的であり、現にそれらは男性名よりも女性名として使われる傾向が強い。

大和言葉(という意識が強い単語)についてのみ考えれば、「どの品詞の単語も、名詞寄りの活用形にすれば女性名になる」というまとめができそうである。

もちろん、ラテン語のように「性」が文法的な力を持つわけではなく、各単語が固有の「性」を持つようなものでもない。

しかし、日本人には「活用形」というものに対して性別らしきものを感じる心があるのではないだろうか、ということはいえる。
これを「男」「女」という対立で見るべきだろうか、「用」「体」という対立で見るべきだろうか、「動」「静」という対立で見るべきだろうか、「陽」「陰」という対立で見るべきだろうか。その分類を何という名で呼ぶべきかは知らないが、ラテン語とは別の切り口による「性」の意識があるような気がしてならない。

なお、「~~スケ」「~~オ」「~~コ」「~~エ」など、造語的に名前を作るようなケースや、「ショウ(翔)」「ジョウ(譲)」など、動詞なのか名詞なのか区別がつかないようなケースについては、また別途考える必要があるだろう。

すくなくとも、単体の大和言葉に限っていえば「どの品詞についても、名詞的な活用形には女性的イメージが伴うことが多い」とはいえるかもしれない。




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