波乱の人生〜救世主現る〜

息子が生まれたのは、娘の誕生日の翌日。そう、ちょうど1歳違いの年子になる。1日早かったら年子じゃなくなるところだった。
未熟児で生まれた息子は、NICUの優秀な医師と看護師達に支えられ、毎日家で絞った母乳を届けた私の努力のお陰で、未熟児特有の病気も無く、めでたくバレンタイの日に退院した。

やっと離乳食を食べ始め、2〜3歩歩ける様になった娘と、未熟児で生まれたての新生児の育児が始まり、私は自分の食事を作る余裕が無く、殆どが冷凍食品や離乳食の残り。義母が買ってきてくれるサンドイッチで生きていた。

そんなある日、彼が関西へ出張で1泊すると出掛けた。
出掛けた後、洗濯物をしまいにタンスがある部屋へ行くと、引出しが一つ空いていた。そこは水着をしまってある引出しだった。
今はまだ春。私はそこの引出しを開けていない。と言う事は彼が出張の準備でここを開けたのか?水着を持っていく必要があるのか?

、、、、、怪しい

やはり、彼の水着が無くなっていた。
彼のPCの電源を入れ、メールを見る。
心臓の音が次第に大きくなっていくのを感じつつ、頭はどこか冷静だった。例え最悪の結果が待っていようと彼の弱みを握る事になり、彼はどう考えても不利な立場なる事は明確だったからだ。

彼と1年以上共に過ごした事で、私のレベルは上がっていた。
どうやって彼と戦っていけばいいか、相手の戦術が読めていた。

メールにはやはり、知らない女の子と沖縄へバカンスへ行く内容が残っていた。速攻で印刷ボタンを押す。数枚印刷したところでプリンタ故障。怒りに任せて印刷ボタンを押しまくるw
印刷したメールを持って義母宅へ向かい、今後の対処法を考える。

彼の扱い方を得ている義母の提案は「問い詰めず、証拠だけ密かに持っておく」パターン。
私も初めはそうしようと思っていた。が、しかし!

帰ってきた彼の荷物から沖縄行きの航空券の半券と、ホテルのレシートを押収。レシートには、コン◯ームや日焼け止めが載っていた。
はい、これで確信犯。
今回のバカンスに使ったホテルは、彼が私にプロポーズをしたホテルと同じだった。ここでまたカチンと来るポイントね。

夜になって、彼が慌てて自分の部屋から出てきて私を見てこう言った

「俺のパソコン見たでしょ、、、」

故障していたプリンタを直したら、怒りに任せて印刷ボタンを押しまくった例のメール、あれが沢山プリンタから出てきたみたいでねw

その事について話し合わないとダメな流れになってしまったのよ。
初めは穏便に話し合いをしようと頑張っていたけどね、彼が一向に認めない。(私が物的証拠を握っている事は知らないからね)
年子の育児で疲れているのも相まって、大暴れしたわ。
彼も彼で、これじゃラチが明かないと思って義母に電話をしようとした私の携帯を(フラップ式)半分に折って壊すわ、私の過去の
男性遍歴(と言っても数人だよ!?w)を持ってきて「売女め!」などと言われ、ビンタされたり私が蹴飛ばしたりw
取っ組み合いの喧嘩をしたw
(彼は私が初めての女性だったので、その点に関して以前から潔癖なところがあったのよね)

大人になってから取っ組み合いの喧嘩をしたのは、あれが最初で最後だろう。今思えばもう少しやってやれば良かったと少し後悔が
、、、いや、あれくらいで丁度良かったんだよね、きっと、、、

義母を踏まえて三者会議を行った結果、私が年子の育児が大変だろうから、落ち着くまで実家に戻ってみては?という流れになり、その後7年も続く円満別居が始まった。

標題の〜救世主〜ってなに?って思った人へ
私が彼から離れるきっかけを作ってくれた、バカンスの相手の女性が私にとっては女神様の如く降臨した感覚だったんです。
彼女が居なかったら円満に実家へ戻ることなんて出来なかった。
私が札幌に戻って来れるチャンスをくれた救世主なんです。
この場を借りて、ありがとうと伝えたいです。


波乱の人生〜子供と共に〜へつづく

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