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今までの参加レコーディングを振り返る Vol.10 Abraham Burton - Eric McPherson Quartet: Cause And Effect 2000

 今までの参加レコーディングを振り返る (年代など順不同です)
Vol.10 Abraham Burton - Eric McPherson Quartet: Cause And Effect 2000

 今回は少し手に入りにくいものですが、僕の渡米生活の中で外すことのできない仲間とのレコーディングです。僕のアルバム「Driftig Inward」
と同じメンバーです。実は同じバンドの別バージョンです。このバンドは仕事をとってきた人がリーダーを務めるコラボレーションバンドとして発足。最初、このCDは自主制作として1998年に録音、発売されていたものをドイツのEnjaと言うレーベルが買い取ってくれて2000年に改めて発売されました。

 始まりはサキソフォンのエイブラハム・バートンとの出会いでした。ジャッキー・マクリーンの愛弟子として火のでるようなアルトサキソフォン奏者としてニューヨークのジャズシーンでも注目されていたエイブラハムでしたが、ちょうど1995年ごろ日野皓正さんのニューヨークバンドに僕が加入した時、サキソフォニストとして一緒に加入しました。その時のドラマーはみんなの師匠のような存在でマクリーンやハンプトン・ホーズのドラマーでもあったマイケル・カービン。僕は先にマイケルのバンドに加入したのが縁でこのように人脈が広がっていきました。

 希望に燃えて1991年にニューヨークに移り住んで、色んなミュージシャンと人脈が出来てセッションしたり、ライブしたり。そこからジャズ史に名を刻むような人との触れ合いが生まれる事で、自分の人生の階段を上がった実感が湧きました。そこにレコードで聞いた人が実際に自分を音を出している。蜃気楼に包まれた幻の街が現実に姿を表したようです。

 そのマイケル・カービンさんの推薦もあって、ニューヨークのスイート・ベイジルでの日野さんのライブに抜擢されたことでエイブラハムと出会いました。ライブが終わって、なぜだか意気投合。当時のニューヨークのライブは同じ場所で一週間あり、お互いに住んでいる家も近かったので、毎晩終わってからも長い会話を楽しんだ記憶があります。

 また、ドラマーのエリック・マクファーソンもジャッキー・マクリーン・バンドに抜擢され、その強靭なバネの利いたビートで注目されていました。
このエイブラハムとエリックはニューヨークでまさに兄弟のように育ち、音楽を研鑽してきた仲間です。そこに日本人であるのに(これは卑屈になっているのでもなく、人種的にどうかと言う問題ではないです)仲間に入れてもらえると言うのは宇宙の不思議としか言いようがありません。当時は英語もそんなに達者に喋れるわけでもなく、露骨にゴマをすったりおべっかを使うと言うこともできなかった自分が、と言うのが正直な気持ちです。ちなみに、アメリカでは入りたいバンドや仲間に、露骨に過剰にゴマすりをする人が大勢見受けられ、それは「Kiss Ass」と言う行為としてバカにされています。が、皆なも生き残りに必死。なりふり構わずと言うのもまたアメリカの一面でもあります。
 そこに当時、ユニークなスタイルで注目を集め、ブルーノートからもリーダーアルバムを出したジェームス・ハートが加わり、他にはない、ユニークなバンドが誕生しました。圧倒的な力強いビートとサウンド、それに自由な空間、そして時折見せるロマンチックな叙情。さらにフリーなベースソロの時間もあり、僕にとっても、全てが成長の糧となる時間をたくさんもらいました。

 さて、このエイブラハム=エリック・バンドは当時、ヨーロッパでとても人気があり、ドイツ人のピーターと言うマネージャーがついてくれて1996年ごろから年に4回のツアーとジャズフェスの出演を用意してくれました。もう何回ヨーロッパに行ったかわからないくらいです。基本的にヨーロッパまで飛行機で行き、あとはマネージャーの用意してくれたキャンピングカーで移動というこれまた他では味わえない体験でした。

 ある年、オーストリアの山奥の中で行われたジャズフェスティバルに出演しました。フェスティバルの名前は忘れてしまいましたが、2万人ほど収容の屋外の巨大なフェスティバルの会場で、デビッド・マレイなども出演していたと思います。そしてその日は僕の誕生日。エイブラハムが、今日はうちのベーシストの誕生日だぜ!ということをMCで告げると、すぐさまに2万人の人が一斉にHappy Birthdayを合唱。聞いた事の無い圧倒的な人の声の渦に感動して涙が出ました。ありがとうエイブラハム。

 と、感動の演奏も終えて、会場を後にしようとしたら、僕たちのキャンピングカーが、たくさんの駐車してある車に囲まれて脱出不能に。さあ、困った。そうしたらエイブラハムが、みんなで一台ずつ動かそう!と言い出しました。
エイブラハムは実は日頃からトレーニング欠かさないマッチョな体で、お父さんもお兄さんもボディビルディングのチャンピオンという家系。ブラザーのエリックもそれに合わせてそこそこ鍛え上げられた体。ジェームスと僕はそれに比べるとなんとも非力でしたが、マネージャーも合わせた男5人でヨーロッパの山奥で車を一台ずつ持ち上げて動かすという、多分もう生きている間では二度と無いであろう経験をしました。なんとか3台くらい動かしたら脱出できとように思います。

 その後も数々の珍道中をこなしたこのバンドの思い出は尽きませんが、その頃にこのレコーディングも行われ、バンドの音楽の一番いい時期が収められていると思います。

 余談ですが、このバンド、先にも述べたように僕の「Drifting Inward」と同じバンドでそちらのアルバム発売記念を日本で全国ツアーを回りました。その時のツアーの移動は全て新幹線という日程でしたが、ある日、予約したメンバー全員の座席が、修学旅行の貸切団体の中学生の車両の端一列だけ空いていたらしく、そこに予約されていました。
 僕たちが、その車両に入った途端に、子供たちは「わー!」と異常な盛り上がりを見せ、「スティービー・ワンダーだ!」とか「パウエルだ!」(エイブラハムは当時、中日ドラゴンズに在籍していたパウエルに似ていた)だとか、勝手に大盛り上がりして狂喜乱舞。そして僕に向かって「マネージャーさん、写真撮ってください!」と次々と頼まれました。
「あの、マネージャー出なくて、バンマスなんですけど…」という声は届かず、マネージャーに徹して写真を撮り続けた自分。あの子供たちは今どこで何をしているのでしょう。

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