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13.聖書の読み方②-1〜時代性を考えて読む〜

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。

前回までは「ペテロと魚」の話を通して、
①聖書は比喩で書かれているということ
②「ペテロと魚」の話の解き明かし
③「ペテロと魚」の話の教訓

についての記事を書きました。

今日からは、聖書の読み方の二つ目の大きなポイントについて話していきます。


<科学と宗教>

さて、皆さんは「科学」と「宗教」の関係について考えたことはあるでしょうか?
「宗教は非科学的だ。科学と宗教は相容れないものだ」と考える人が多いと思います。

「科学と宗教」という論争を引き起こした一つのシーンを紹介します。
時は紀元前1400年くらいの話です。

話の主人公は「ヨシュア」という人物です。
「ヨシュア」という人の前には「モーセ」という人物がいました。
「モーセの十戒」とか「紅海の奇跡」とかで有名な人物です。

モーセの時代、神様を信じていたイスラエル民族はエジプトで奴隷生活をしていました。
そこから「出エジプト」を経て奴隷から抜け出し、もともとイスラエル民族が住んでいた「カナン」という土地に戻ろうとしている時でした。

「カナン」という土地はとても住みやすい土地だったので、イスラエル民族が奴隷生活をしていた400年の間に別の民族がその土地を占領していました。
そこでその土地を取り返すために戦ったのが「ヨシュア」でした。

<日よ、とどまれ>

その中の一つの戦いにおいて、ヨシュアとアモリ部族との戦いの中があったのですが、その戦いにおいてヨシュアの懸念点がありました。
それは「日が沈みかかっていたこと」でした。
暗くなると、土地をよく把握している相手軍の方が有利になってしまうからです。

そこでヨシュアが神様に祈りました。

ヨシュア記10章12〜13節
「10:12主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、
「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
10:13民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。
これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。」

<天動説と地動説>

ここで問題となるのが、「天動説」・「地動説」の話です。
ヨシュアは「日よ、とどまれ(太陽よ、止まってください)」と祈りました。

・・・


皆さんはここで何か違和感を感じませんか?

太陽は、、、、もともと動いていませんよね?
今は「地動説」が当たり前になりましたが、これは1543年にコペルニクスが提唱し、その後がケプラー、ガリレオ・ガリレイによって続けて証明されていきました。

ガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」という言葉は皆聞いたことがあるでしょう。

今では当たり前となった「地動説」ですが、当時「地動説」を支持したガリレオ・ガリレイは宗教裁判によって有罪判決とされました。

「日よ、とどまれ」と祈っている=太陽は動いている。(天動説)
が主流の考えだったため、
地動説を提唱するということは、聖書を否定し神を冒涜することだという話になったからです。

<聖書は間違っている?>

・なぜヨシュアは元々動くことがない太陽が止まるように祈ったのか、
・真理が書かれているという聖書だが、間違ったことが書かれているのか

このような疑問を解く鍵が、
聖書の読み方のポイント2つ目、「時代性を考えて読む」という話です。

背景説明がだいぶ長くなってしまったので、「時代性を考えて読む」という話は次の記事で書こうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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