見出し画像

京アニ放火事件 公判

きのう、京アニ放火事件の公判が京都地裁で開かれた
事件を起こした、負傷した犯人は裁判ができるくらい回復したんだと思った
私は裁判に彼が立つのは賛成だ。法治国家だし、法廷で裁かれてこそ。火傷をおった瀕死容疑者の治療を担当したお医者さんも
おっしゃっていたけれど、そこで明らかにしていくことが、何より亡くなられた遺族の人達にとって慰めになると私も同意

この事件は、いろいろな教訓がある
例えば、
建物のセキュリティー。制作会社だし、自由な雰囲気だっただろう。銀行のようなすぐ使える紙幣を扱ってる訳ではないし、対策の強化しただろうな。

逆恨み。面識ない人から暴力的な行為を受ける。

ならば、逆恨みを凶悪化する前に社会につながる方法を考えていく問題提起もしている。何ができるんだろう?親切じゃあおさまらない。生活の安定はどこから
くるんだろう

公判のニュースを聞いていると、青葉被告に謝罪がないという
彼がなぜこの場に来ているのかよくわかってないじゃいかと考察する
実際に、こんなに被害が出るとは思わなかったと言っている
被害者はいるのだから、謝罪すればにいいのにそこに繋がらないのはなぜだろう?

実は、実姉は凶悪犯ではないけれど、感謝することない。宗教の話は大袈裟なくらいするのだが、言葉に出して実行するのは、とても難しいようだ。むしろいっぱいいっぱい。私にお茶すら出すのも大変

確かに青葉被告もひとり親の父親が自死しているし、生活環境がよくない
でも、それだからといって、みんながみんなそんな凶悪犯になるとは限らない

周りを認識できない病気でもあるのだろうか?池袋の交通事故の事件の容疑者も公判で謝罪がないと遺族がテレビで言っていたときがあった。
もしかして自閉傾向。。。
強迫性の何らかの疾患かもしれない。。。

京アニ事件は、弁護側は心神耗弱で無罪を主張していた
それは嘘じゃないだろう。でも亡くなった方が多すぎるし、国としても優秀な人材を失っている。日本の産業の中で誇れるアニメ産業の本丸に勤めてた方達。画力だって半端ない。つくづく無念だ。私が遺族だったら生きる希望でもあったはず。
容疑者の応募した原稿が不採用はわかる。雰囲気が似ている作品があった。そこまでもわかる。そこにまたなぜ狙っていくんだろう?リスペクトはないのだろうか。相手に致命傷を与える何か本能のようなものでもあるとしか思えない

公判中、容疑者の心が解放されて、少しでも命の尊さを実感できたらと思う
最後に死刑囚で執行もされた詩人 島秋人さん「遺愛集」より
「死刑を賜った」とい境地になったという
そんな奇跡。せめて、心から謝罪ができるような時間に使ってほしい




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?