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SHINeeが私の生きる理由になった日

あんにょんはせよ。
ただのシャヲルのよっしーです。

実は私、昨日(2020年8月1日)をもちまして25歳になりました。毎年恒例、SHINeeからの素敵な誕生日メッセージに感動し、その45分後に淡々と送られてくる「ファンクラブ継続手続きのご案内」に(こ、これが、お前のやり方かぁああああああ)と運営への愛しさが胸から溢れました。そんなグッドタイミングで送ってこなくても私はずっと会員でおりますよ!と誰か伝えておいてください。(運営さん、いつもありがとうございます。)

さて、25歳になった私ですが、このタイミングで24歳の最後の方に訪れた心境の変化について綴っておこうと思います。正直タイミングはあまり関係ないのですが、私の人生においてとても大切な変化?気付き?だと思ったのでここに書き記しておこうと思ったのです。



2009年〜2020年6月までの私とSHINee


私は、中学2年生のころにSHINeeと出会いファンになりました。最初はただ「かっこいい」「可愛い」「好き」くらいの感情だったものが、年数が経つにつれて上記の言葉では表せないくらい、私にとってSHINeeが大切な存在になっていました。

きっとシャヲルの皆さんにとっても同じようにSHINeeは皆さんの中で大切な存在ですよね。

でも、この「大切な存在」になるまでのバックグラウンドやストーリーって人それぞれだと思います。例えば「辛い時にSHINeeの音楽に救われた」「SHINeeのおかげでここまで生きてこれた」という方もいれば、「SHINeeがいるから毎日楽しい」「SHINeeの音楽が私の日常を彩ってくれる」という方もいると思いますし、「とにかくSHINeeにときめく」「SHINeeに恋をしている」という方もいると思います。

「大切」っていう感情はみんな共通して持っているものかもしれないけれど、「なんで彼らが大切なのか」という部分は皆それぞれ違うのだと思います。

私とっては、SHINeeは常に私の前を走っている人たちでした。私はずっとSHINeeのことを追いかけていました。ファンとしてアーティストを追いかけているというよりは、同じ人として、彼らを追いかけていると言ったほうが正しいかもしれません。学生時代、どんなに辛いことがあっても大変なことがあっても「SHINeeもあれだけ頑張ってるじゃないか」と自分を奮い立たせたり、「私もSHINeeみたいに輝けるように頑張ろう」と色んなことに挑戦してきました。

そもそも私は、めちゃくちゃ強い人間なんです(いきなり)。根からのリーダー気質で、高校・大学と体育会系運動部の部長もしていました。負けず嫌いで、絶対に挫けない性格で、とにかく側から見たら、いや自分でも自分は強い人間だなと思っています。しかもめちゃめちゃポジティブだし。

だからなのかは分からないけれど、「SHINeeに救ってもらった、支えてもらった」というよりは「SHINeeがいるから自分も全力で頑張ることができた」という方が近いです。そう、私にとってSHINeeとは「私が頑張れる理由」だったのです。きっとSHINeeに出会ってなくても私はそれなりに頑張って人生を生きてたと思うし、挫けることもなかったと思います。でもSHINeeが私の前を走っていたからこそ、「私も頑張ろう」という思いが最大限に引き出されていたことは間違い無いです。

これが、私にとってSHINeeが大切な存在である理由でした。

でした。そう、「でした」なんです。最近になって、私とSHINeeの関係性に大きな変化がありました(なんかこう書くと途端にリア友感が出るけど気にしないでください。一方的に私が感じている関係性なので、向こうから私個人に対する矢印は存在しません。)



2020年6月からの私とSHINee


(ここから先少しセンシティブな話が出てきますが、全ては私個人が経験した感情であり、誰の何とも比べることのできないものです。ただの個人の日記だと思ってお読みください。)


突然ですがみなさん、「人はなんで生きるんだろう」って考えたことありますか。

私は、つい最近まではそんなこと考えたこと一度もなかったです。常にやりたいことがたくさんあって、達成したい目標があって、その先の未来を思い浮かべながら毎晩ワクワクしておりました。少し突っ込んだ話をすると、「これをやり遂げるまでは絶対に生きていなきゃ」「やばい、まだこれも達成してないのに明日突然事故にあったらどうしよう」などとドキドキしながら眠りにつくことも多々ありました。

でも今年の6月のある日、仕事を終えてへとへとで家に帰り、深夜に布団に入っていろいろ考えているうちに「なんで私は生きてるんだっけ?」という漠然とした疑問が浮かびました。

その疑問が浮かんだこと自体が、私にとっては衝撃的でショックな出来事でした。

だって、学生時代はあれだけ「生」について考える隙もなくただ目の前にある目標に向かって突っ走り、時には「意図しない終わり」を恐れていたのに、今は「別に明日終わりがきてもいいかな」なんて思ってしまっている。私にとって生に対して疑問をもつということ、終わりを恐れないということは、明確な目標を失っていることに等しいのです。

学生時代と比べて随分と変わってしまった自分にショックを受け、そんな今の姿を受け入れられず、ついには「生きる意味がないのなら、生きていなくてもいいのでは?」なんて思ってしまい、深夜にめちゃめちゃ泣きました。(本当にめちゃめちゃ泣きました)自分の変化が悲しいのと同時に、その変化に対してショックを受けてナヨナヨしている自分もめちゃくちゃ嫌でした。そんな負のループに突入しちゃったんですね。

ちなみに、この時は体調的にも優れず、問題が次々に降ってくる仕事やそれに伴う重圧、新卒1年目で慣れない環境に対するストレスが溜まりに溜まっており、それが全て重なった瞬間だったんだと思います。タイミング的に負の力が増大しちゃったんでしょうね(なんかかっこいい)。毎晩こうだった訳ではなく、本当にタイミング良く(悪く)ドン底に落ちた瞬間でした。

そんな「なんで私は生きるんだろう?」という答えの無い道を彷徨いはじめ、

「生きる意味なんてないのでは?」
「もういっそ生きるのも辞めてしまおうか?」と極端な考えが頭をよぎった時、


「でも、ここで人生を終えたら、SHINeeとの思い出も全部なくなっちゃうんだな。」

って思ったんです。

「もし生まれ変わったとしても、SHINeeにはもう二度と出会えないだろうな。」

って思ったんです。

「それは、嫌だな」

って思ったんです。


私の人生ではじめて、SHINeeが私の「生きる理由」になった瞬間でした。
今までずっと私の遥か前を走っていて、私が追いかける光だったSHINeeが、はじめて、私の後ろで私を支えてくれる存在になった瞬間でした。

正直、今まででも十分SHINeeは私にとって大切な存在だと思ってたけど、自分で気づかないうちにもっともっと、他の何よりもずっと大切な存在になっていたのだと自分でも驚きました。そしてさらにめちゃめちゃ泣きました。

もちろん今でも私は前を走るSHINeeを追いかけているし、SHINeeが私の「頑張れる理由」であることには変わりはないんだけど、今までシャヲルとして彼らと過ごした時間や彼らにもらったもの、悲しいことも嬉しいことも詰まった全ての思い出が、私の「生きる理由」になるんだと気づいた夜でした。


きっと私はこの夜のことを、私の人生に終わりがくるその時まで忘れないと思います。そして、いつになるかはわからないけど、私の人生に終わりがくる時、私はSHINeeとの思い出を振り返り、彼らに今までで一番の「ありがとう」を伝えるんだと思います。私の終わりが80年後だとしてもきっとそうだと思います。


だから私も、この人生全て捧げて、彼らに恩返しをしていきたいと思います。彼らにとって私の「恩返し」が本当に「恩返し」になるかどうかはわからないけれど。いつかSHINeeという形が現在進行形ではなくなってしまうとしても、私がおばあちゃんになってこの世を去ったとしても、それから何百年後の世界でも、SHINeeの音楽がたくさんの人々に愛されているように、私ができることは思いつく限り全部やっていきます。それくらい、大切な人たちなんです。

今日も、SHINeeと出会えたことに感謝します。
ありがとう。

25歳のよっしーより



いつか、だいすきなSHINeeに恩返しができるように、たくさんの想いと言葉をためています💎