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あの頃のSHINeeはもういない [前編]


──「私は一生シャヲルだから!!!」なんて、なんの迷いもなく豪語していた学生時代の私が、この未来を見たらどう思うだろうか。私は今自分がシャヲルであるかどうかも、シャヲルと名乗っていいのかもわからない。私のSHINeeに対する愛の形はここ数年で大きく変わってしまった。



✉️ まえがき
ここ数年SHINeeから離れていた私が、大学の友人に誘われ先日の東京ドーム公演『SHINee WORLD VI [PERFECT ILLUMINATION] JAPAN FINAL LIVE in TOKYO DOME』に参戦し、映画『MY SHINee WORLD』を鑑賞してきました。久しぶりにSHINeeに触れ、ずっとモヤモヤしていた感情を今なら言葉にできるような気がしたので、こうしてnoteを綴っています。 ”現役”のシャヲルの方にとってはネガティブに聞こえ得る内容も含まれていると思いますが、個人の感想として寛大に受け止めてくださるとありがたいです(別に受け止めずつき返してもいいです笑)。また、書き始めたら予想を遥かに超える長さになってしまったので、前編・後編に分けて公開させていただきます。お時間ある時にお読みいただけると嬉しいです。

24.03.30 よっしー


私がグループとしてのSHINeeのライブに行ったのは、チケットボードの履歴を確認する限り2021年4月の『Beyond LIVE - SHINee : SHINee WORLD』が最後だった。もっとも、このライブはコロナ禍に開催された無観客ライブだったので、”行った”ではなく”観た”が正確な表現かもしれない。その後、テミンやきーくんのソロコンサートを”観たり”、オニュのソロコンサートに同行者としてお邪魔したりはしたものの、私が胸を張って「私はシャヲルだ」と言えたのは2021年くらいまでだったと思う。

つまり、私は2021年から今まで、約三年ほどSHINeeから離れていたことになる。前編では、私があれほど大好きだったSHINeeから離れてしまった経緯について書いていきたいと思う。(*私がどれほどSHINeeのことが好きだったかは過去のnoteやTwitter(Xともいう)をご参照いただきたい。)


私がSHINeeから離れた理由


私がSHINeeから離れてしまった理由は、主に三つある。

一つ目にして最も大きな理由は、「彼らが新しく作り出す音楽を好きになれなかった」ということだ。新しい音楽というのは、具体的には『Don't Call Me』以降の音楽を指す。誤解を恐れずに言えば、キムジョンヒョンが不在の音楽、と言い換えることもできるかもしれない。

『Don't Call Me』を好きになれなかった理由は、音楽というよりは歌詞が受け入れられなかったからだ。(以降、ここでいう”音楽”には歌詞も含まれていると思ってほしい。)好きになれなかったというより、言葉を選ばずにいうと、最悪だなと思った。皮肉にも「느껴봐 넌 최악이야 (なぁお前は最悪だよ)」なんて歌詞が登場するが、それはこちらのセリフだと声を大にして言いたい。

新しいことに挑戦するのは構わない、というかそれがSHINeeの魅力でもあると思う。でもだからと言って今まで彼らが積み上げてきた物語や世界観を無視してほしくはなかった。恋人との別れを歌った曲の中で、彼らが相手を酷く罵ったことがあっただろうか。相手に振り回されたり、決して幸せとは言えない愛の形を押し付けられることはあったとしても、SHINeeが相手を酷く突き放す言葉を放ったことなどなかった。Luciferでさえ”彼女”が悪魔なのではなく、”彼女の囁き”や”彼女の魅力”が悪魔だと歌っている。それだけではなく、近年のSHINeeの作品では、『Everybody』『View』『Good Evening』など、必ずしも男女の関係もしくは恋愛がテーマだとは言い切れない音楽がタイトル曲として打ち出されていた。私は彼らが描く優しく切なくキラキラとした夢物語のような世界が大好きだったし、その世界こそがSHINeeの音楽だと思っていた。だからこそ、『Don't Call Me』の相手だけでなく今まで彼らが作り上げてきた世界をも否定するような歌詞を反射的に拒絶してしまった。また、今までの軌跡を無視してまで新しい世界観に挑戦するほどの価値がこの楽曲にあったのだろうか?と考えてみても答えはノーだった。今でも変わらずにノーだと思っている。

また、これは『Don't Call Me』を含め『HARD』や『JUICE』にも感じたことだが、どの音楽を聴いても「SHINee」が感じられなかった。というか、SHINeeではなく真っ先に「SM」が感じられた。正直『Don't Call Me』はEXOが歌っても違和感がないと思ったし、『HARD』はNCTの曲をもらったのかな?なんて最低なことを思ってしまった。(*あくまでも事実とは関係のない個人の主観です。)とにかくSHINee以外のグループでも消化できる音楽だなと思ったのだ。少なくとも今までタイトル曲になるような音楽たちは「SHINeeしかできない音楽」であったと思っている。激しいパフォーマンスもそうだし、ハイセンスなコンセプトもそうだし、力の抜けた音楽だってそう。彼らにしか消化できない音楽・世界がそこにはあったはずだ。少なくとも私は、近年の楽曲にそれを感じることができなかった。

「彼らの音楽を好きになれない」これが私がSHINeeから離れた一つ目にして最も大きな理由であった。



二つ目の理由は、アイドルを「推す」という行為に違和感を感じ始めたから。「推す」といっても人それぞれ、また時代によって定義が異なると思うが、ここでいう「推す」とは、アイドルを”ポジティブな言葉”で応援し、音楽番組で1位を取れるようにYouTubeを回し音源を聴き音盤を買い、賞レースで良い成績を収めらるようにオンライン投票をしたり特定のハッシュタグをつけてツイートをしたり、とにかくSHINeeが「アイドル」として花道を歩けるように全力で支援することを指している。

まず、「”ポジティブな言葉”で応援」というのは、SHINeeやSHINeeの作品に対して常に褒めるスタンスでいなければいけないということ。もちろんこれはルールではないし、そうあるべきだと誰かが主張している訳ではない。だけれど、SNSというプラットフォームの表面に現れるアイドルのファンダムには、少なくともこのような雰囲気が流れている気がする。特に(当時の)シャヲルにおいてこれはかなり顕著で、その理由は恐らくジョンヒョンのことがあったからだと思っている。私を含め多くのシャヲルが棘のある言葉に敏感になっていたし、できるだけ彼らに明るく力になるような言葉を届けようと意識して表現活動を行なっていたと思う。また、これはかなりの私事であるが、SHINeeに関してポジティブな”オタクらしい”発言や行動をすることで2000人ほどの方にフォローしていただいていたということもあって、より一層「こうあるべき」という考えが潜在意識の中にあったのかもしれない。

この環境に違和感を覚え始めたのは、『Don't Call Me』のアルバムが出たあたりだ。前述した通り、私はタイトル曲を含めこのアルバムをあまり好きになれなかった。けれど、それを素直に言葉にすることができなかったのだ。三人が兵役から帰ってきて久しぶりのカムバックということもあり、タイムラインには絶賛の声や応援のメッセージが溢れていた。そんな雰囲気の中、音楽に対する素直な感想を発散することはなかなか難しかった。

本来、「作品」と作品に携わる「人」は分けて考えらるべきで、「作品」に対する批評=その「人」に対する批評ではないはずだ。(世の中にはこれを混同して作品が好きでないからといって作者を誹謗中傷する人間がたくさんいるのだが。)だから本来SHINeeの音楽に対して自由に意見を述べることは何も悪いことではないし、むしろ彼らの音楽を「作品」として受け取る上では推奨される行為ではないかと思う。しかしアイドルのファンダム、特に当時のシャヲルの中で、彼らの新譜をネガティブに批評することはかなり勇気のある行為であったし実際に私はその勇気がなかった。

今冷静に考えてみると、これはファンダム云々ではなく、「アイドル」という職業の特殊性も関係しているような気もする。なぜなら、アイドルの場合、「SHINee」自体が「作品」になり得るからだ。メンバーや会社、その他彼らに携わるすべての人が作った作品が「SHINee」であり、「SHINeeの音楽」である。だから彼らの作品を批評するとき、「音楽」と作品としての「SHINee」を完全に分離することはできない。厄介なのは「SHINee」が、イジンギ、キムジョンヒョン、キムキボム、チェミノ、イテミンという五人組の代名詞でもあるということだ。「SHINee」という作品に対しての批評が、この五人への評価に聞こえかねないという点で、作品としての「SHINee」や彼らの音楽に対してネガティブな感想を発信することは誤解を生みやすい行為になってしまう。何かの作品や事象に対して自分の考えを発信することが好きな私にとって、自由に意見を述べることができないこの環境がかなり窮屈に感じられた。

また、応援目的の購買行為や賞レースに関しては、単純に彼らが「消費」されているようで嫌になったのだ。アイドルにとって、数字で表される人気・評価というものが大事であることは十分に理解している。だからファンが「数字」を伸ばすために過剰な努力をすることも、ある程度仕方がない文化だと思う。けれど、13年・14年目のアイドルにとっても、それが本当に大事なことなのだろうか。1位を取った、再生回数が何百万回を突破した、そんな瞬間風速的な数字で評価され、一時の盛り上がりの中で消化されていく。そんな消費文化の中にいつまでSHINeeを閉じ込めておくのだろう。彼らの音楽には芸術的な価値があると心から思っているからこそ、アイドルというステージやその制度が彼らの魅力を抑制してしまっているように思えて仕方がなかった。

「アイドル」という文化に違和感を感じたことが、SHINeeから離れてしまった二つ目の理由であった。


三つ目の理由は、私自身の環境の変化だ。私は2020年に大学を卒業し、新卒の社会人として働き始めたのだが、学生と社会人のギャップというものが私の想像以上に大きかった。学生の時に堂々と語った夢や目標は、忙しくストレスフルな日々に押しつぶされて忘れ去られていった、あるいは忘れたふりをするようになった。私の場合、新卒1年目の時期がちょうどコロナ禍と被ったのがよりストレスを増大させたと思う。大好きだったSHINeeの音楽も自分の輝いていた過去を思い出させるようで聴けなくなった。そもそも(SHINee関係なく)音楽というものに触れること自体が減ったし、音楽を聴く行為、というか何の曲を聴こうかと悩む行為が負担で音楽を聴き始めることができない日々が続いた。ある映画作品で菅田将暉演じる主人公が言った「(疲れすぎて)もうパズドラしかできないんだよ。」という言葉が全てを表しているなと思う。好きな音楽を聴いたり、感動する映画を観たりして心が動かされることが疲れる。だから休日や余暇時間は思考停止状態でもできる単純なゲームやYouTubeのショート動画を眺めることで時間が過ぎていった。そんな無感情の日々を過ごす中で、SHINeeの新譜も好きになれず、ますますSHINeeから離れてしまったのだった。


以上三つが、私が、大好きだったSHINeeから離れてしまった主な理由だが、三つの理由は決してそれぞれ独立しているわけではないということを強調したい。これらの理由、そしてそれ以外の些細な出来事や要素が絡まり合って、最終的にSHINeeから離れるという結果に繋がってしまったのだと思う。

あれだけ大好きだったSHINeeへの愛、永遠にシャヲルであると彼らにも自分自身にも誓った約束、その全てが形変わっていくことを忙しい日々と時の流れのせいにして、心のどこかに後ろめたさを感じながら三年の年月が経っていった。




後編へ続く


いつか、だいすきなSHINeeに恩返しができるように、たくさんの想いと言葉をためています💎