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劇場版スタァライトのオケコンで何があったか――「二層展開式」の極致

まえがき

2022年2月6日(日)、幕張イベントホールで開催された「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」のオーケストラコンサート
1日限り、昼の部と夜の部のたった2回しかなかったこの舞台 、、で起きていたこと、体験したことを書きます。
(もともと昼の部だけの予定だったんですが、終わった後の衝撃に耐えられなくてその場で夜の部の席をとったので2回とも体験しました。結局衝撃が2乗されただけで今も引きずっています。)

ヘッダーは、スタァライトのデザインっぽいなと思って、開演前に現地で撮った写真です。
会場の幕張イベントホールが大場ななのカラーなのは出来すぎだとか、めちゃくちゃ背伸びをしている神楽ひかりがいる構図だと思うと面白いなとか思っていました。のほほんと。あの時は平和でした。

「オケコン」ってなに

「劇場版」の再生産総集編4DX

まず、今回のオケコンの実態を整理します。
劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」の再生産総集編4DX版」か、または舞台版「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」でした。前者の方がよりしっくり来る。
ちなみに昼の部の最後の挨拶で、花柳香子役の伊藤彩沙さんが、観客席でリハを見た時の感想として「4D」と、それに突っ込む形で星見純那役の佐藤日向さんが「IMAX」と表現されていて、やっぱりそう思うんだと安心しました。

ざっくり言うと、バックスクリーンに流れる劇場版の映像に合わせて、ほぼ全ての楽曲を生演奏しました。歌のある楽曲は全部歌っていました。
なんなら劇場版では歌っていなかった「舞台少女心得 幕間」も歌っていました。
やっていないのは「キラキラ!キラミラ」くらいでしょうか。(オーケストラアレンジの「約束タワー」のおかげで記憶が曖昧です。)
その代わりとばかりに、冒頭とラストに持ってきたのが「再生讃美曲」と「星のダイアローグ」。もう本当に劇場版から離れた。

上記の昼の部の挨拶で、愛城華恋役の小山百代さんが「レヴュー曲全部やるとは思わなかったでしょ!」と発言されてましたが、それどころでもないです。「focus」やってもらえると思わなかった。ありがとうございます。

「4DX」たるゆえんはこの後に書くとして、まずこれは一体何だったのか確認します。

面倒くさい彼氏みたいなサプライズの仕方

オケコンについて、事前に公式から案内されていた内容はこうでした。

■出演
東京室内管弦楽団
■ゲスト
スタァライト九九組
※スタァライト九九組はトークパート及びコンサート内楽曲の一部歌唱を行う事が決定しました。
https://revuestarlight.com/news/8200/

今見てみると、確かに正しい。
「コンサート内楽曲の一部歌唱」と書いてあるけど、別に「コンサート内楽曲」は劇場版の劇伴曲とも言っていないし、一部というのは「歌のある劇伴曲」の一部とも言っていない。
だから、コンサート内楽曲に「星のダイアローグ」と「再生讃美曲」が入ってくるのもおかしくない。(その楽譜を特典にしているくらいだし。)
ほぼ全ての劇伴曲をやって、その「一部」である歌が付いているレヴュー曲全てと「私たちはもう舞台の上」歌唱するのも、別に間違っていないです。

「歌唱」と言っているからって、そら演技はするし、劇場版のコンサートなんだから劇場版の映像だって流すでしょう。流すならそれに合わせて演奏するでしょう。

そうですかね…………

こう、面倒くさい彼氏って「あえてホワイトデー当日は何もしなくて、翌日にプレゼントを渡す」みたいな誰も幸せにならないサプライズをするイメージがあるんですが、それに近い気がしています。
色々と検討した結果こうなったのかとも思ったんですが、Twitterを見ていると常習らしいので本当にそういう性格なのかもしれない。
面倒くさい彼氏なんて好きになった方が負けですし……

フィルムスコアリングの映像に生演奏を合わせる狂気

舞台上の構成は、奥からバックスクリーン、オーケストラ、指揮台、ツラにレッドカーペットが敷かれてそこで九九組の面々が歌唱する形をとっていました。
そのバックスクリーンでは、上でさらっと書いたとおり、劇場版の映像が流れます。
そして、その映像に合わせてオーケストラが演奏し、九九組の方々が歌います。

フィルムスコアリングの映像と音楽ですから、ここぞというところでぴったり来る気持ち良さが特徴なわけで、それを観客の目の前で生演奏でやろうって、思ってもできないじゃないですか。
正直、聴いている間も内心ずっとハラハラしていて。紅白のけん玉チャレンジみたいで、あれも年末のゆったりしたムードの中で何でハラハラさせられなきゃいけないんだと思いながら見ちゃうんですが、なんでオーケストラの演奏にハラハラさせられなきゃいけないのかと。
それなのにやっちゃうし、しかもぴったり気持ち良く来るという狂気

前提はこれくらいで、各論に。

「二層展開式」とキュビズム

昼の「MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●」:現れた競演のレヴュー

昼の部です。
「wi(l)d-screen baroque」で小泉萌香さんの絶叫に圧倒されて。
「わがままハイウェイ」では伊藤彩沙さんのあでやかな歌い回しに圧倒されて。
この辺りでオーケストラの演奏をスピーカーで何倍にも増幅して浴びせてくるスタイルにようやく慣れてきて(まさかマイク使うと思わなかった)。

そして「MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●」です。

ラストに再び「舞台少女心得」のフレーズに帰ってきて、ポジションゼロへ向かってトラックを走る神楽ひかりを見送る露崎まひるのシーンのところ。
(全く余談ですけど、怨みのレヴューがデコトラで競演のレヴューはトラックが舞台で、狩りのレヴューはトラがいて、上手くつながらないかなと思ってるけどつながらない。)

下手側に立つ神楽ひかり役の三森すずこさん。
上手側に立つ露崎まひる役の岩田陽葵さん。
二人が並んで立って歌っていたところから、後奏に入ったと思ったら、向かい合い、そして三森さんがくるっと下手側に向き直って、はけていく。
その背中を岩田さんが見送っている。

バックスクリーンで流れる劇場版が舞台の上で再現されている。

「いる……! 目の前で競演のレヴューをやっている……!」と混乱。

この混乱が引き金になって、慌てて夜の部も行ったんですが、これが落とし穴でした。落とし沼? 怖い罠。

夜の「MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●」:2人の露崎まひる

昼の部は2階スタンドの舞台下手端のそばで、舞台をほとんど横から眺める席だったのに対し、夜の部は2階スタンドの正面上手寄り、舞台の全体が見える位置でした。そこで何を観たか。

神楽ひかりがエレベーターで追い詰められるシーン。
劇場版ならまひるの声に囲まれていく場面。
台詞を言うことは基本的に(※)なかったので、会場は無音に満たされます。息を呑むことすら許されない緊張感。
そんな空間で、舞台のツラに一人、表情を殺して身じろぎ一つしない岩田さんの立ち姿。
(ひかりの歌唱パートがいったん終わっているので三森さんは一度袖に戻っています。)

それから再び音楽が始まって、岩田さんの雰囲気が転換します。

「さあ お目にかけましょう」から始まり、舞台に立つ「露崎まひる」は観客の皆様に朗々と語りかけるように歌いだします。

しかし、バックスクリーンで流れる劇場版では、キャットウォークを逃げていくひかりを「露崎まひる」がにらみながら追い詰めていきます。

映画の中の露崎まひると、舞台の上の露崎まひる。

同じ人物の、まさにこの時の、異なる2つの状態が同時に目の前で繰り広げられていく。

※ちなみに唯一流れた台詞は、「狩りのレヴュー」の大場ななの「がお」です。台詞というか鳴き声というか、でもオケコンで流れたのならあれは「ペン:力:刀」の一部だったんですかね。あるいは運営からのプレゼント。面倒くさい彼氏はそういうのでたらすのが上手い。

レヴュー曲と台詞の重層性が牙をむいた

昼の部は、映画の世界が舞台で現前したこと、同じものが現れたことの衝撃でした。
夜の部でやってきたのは、映画の世界では表に出てこなかった別の側面の描写が舞台の上で始まった、異なるものが現れたことへの衝撃でした。
(念のため、昼の部も夜の部も同じことはやっていたはずで、勝手に私の視点が変わって順番に気づくことになっただけです。)

そもそもレヴュースタァライトではずっと、レヴュー曲と台詞が絡み合い、重なり合って複層的に表現していくという形をとってきていたわけで、同時に異なる要素がやってくるというのは、むしろ常道といっても良いでしょう。

けれど、(これはひとえに私の認識不足なだけですが)ここまでレヴュー曲とその時の言動の内容が、形式上は互いに全く異質なものだったという「MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●」の特殊性(?)が、その常道をがらりと変えてしまった。

神楽ひかりを静かな調子で追い詰めていく演技をする露崎まひる。
観客へ朗々と歌いかけてレヴューを演出していく露崎まひる。
複数の異なる姿を同時に見せることで「魅せてくる露崎まひる」という一つの姿に、したたかにやられてしまった。怖かった。

『泣く露崎まひる』

急ですが絵の話をします。(美術を専攻したこともない、「GA 芸術科アートデザインクラス」で聞きかじった専門用語しか知らない人の話です。ここに書いてあることに間違いや不足があれば、それは全て私の責任です。)

ピカソの「泣く女」という絵があります。何で読んだか忘れたのですが、その尋常ならざる顔の造形は、複数の視点から見た一つの顔を一枚の絵に収めたことによるものといわれます。(思いっきり嘘ついてたらすみません。)

この絵画のように、見たままを描くのではなく、いわば解析して再構築するスタイルが「キュビズム」(キュビスム)と呼ばれています。

……単一の焦点に縛られたルネサンス以来の遠近法によって現実を再現するのではなく、複数の視点から眺められた姿を平面上に合成して表現しようとした。……ピカソのキュビスム期の最初期の代表作「アビニョンの娘たち」では、遠近法を無視した造形や、呪術的な力を感じさせるアフリカの仮面彫刻の影響が強く見られる。またブラックは、セザンヌの影響を受けて事物を単純な形に戻し、永続的な形態を求めた対象を線と色調を抑えた単色の明暗によって細分化(分析化)し、結晶体のような切り子面を重ねたような画面を作り出した分析的キュビスムから、さらに細分化された要素を再統合する総合的キュビスムの時代へと至り、第1次世界大戦前後に収束する……
知恵蔵「キュビスム」の項

……これじゃん!!? となったのが終演後でした。

「二層展開式」ってこうなるんだ

もともと「少女☆歌劇レヴュースタァライト」という作品の基礎である、ミュージカルとアニメで同じ世界観を描いていく「二層展開式」の構造は、映像の中と舞台の上がシンクロする(あるいはズレる)楽しみがあらかじめ用意されています。

これまでに観た舞台(#1、#2、青嵐)でも、各人のソロ曲で背景にキャラクターの立ち絵が出たりすることで、そのキャラと舞台の上にいる俳優(声優)のリンク付け、実在性の強化というのはされてきたと思います。

あるいは、まだ観ていないほかの舞台やライブ(特に前のオケコン)では、同様のことが既に行われていて、こういう演出が実は定着してきているのかもしれません。

ただ、私は初めてだったんで!!!! こういうの!!!!!

そんな高度なことを急にやったらびっくりするじゃないですか!!
オーケストラの演奏を聴きに来ただけなのに!!!!

(舞台自体、キュビズム的な性格という話はある)

舞台の上に広がる世界が、そもそも現実の要素を抽象化して再構成し直しているものなので、上記の知恵蔵からの引用にもある「事物を単純な形に戻し、永続的な形態を求め」ることを常にやっているんだと思うと、舞台そのものがキュビズム的という主張はあり得る気はしてきますね。
ただの立方体が椅子になったり、あるいはカボチャになったり、あるいは子供になったり。

ただ、レヴューに出てくる舞台装置は割と具象寄りですし、なんならテレビアニメ版から劇場版でかなり舞台装置が豪華になって、現実に近づいてきている感さえあるので、そこはむしろキュビズム的性格に逆行しているかもしれません。
舞台が生活に入り込んできている(虚構と現実が曖昧になっていく)という別の怖さはありますが。それこそwi(l)d-screen baroqueとか。あれは意図的ですが。)

出ハケという演出

劇場版とオケコンでできること、できないこと

劇場版(映像)とオケコン(舞台)で最も何が違ったかと今考えてみると、舞台に入る時(出)と舞台から出る時(ハケ)の処理があるかどうかだったように思います。

本当は、舞台でも暗転でさらっと出ていくということができたと思うし、普通に「歌唱」のために参加するならそうするのが穏当だと思います。

スタァライトは穏当じゃない……

レヴューごとの出ハケ

私の想像力が追いつかなくて「わがままハイウェイ」はどのように生田輝さんが去った(去ることになっていた)のかはわからず……

「MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●」は既に述べたとおりです。

「ペン:力:刀」は、星見純那役の佐藤日向さんが上手から、大場なな役の小泉萌香さんは下手から出てきて、それぞれ舞台中央まで歩いていき、すれ違い、そのまま劇場版の「狩りのレヴュー」ラスト同様の構図で、振り返ることなく、ハケていく。もう怖い。

個人的にそれを超えてしまったのが「美しき人 或いは其れは」。

劇場版になかっただけであった「魂のレヴュー」の後

出ハケに注目するまでもなく、レッドカーペットの上で向かい合って 、、、、、、(!)絶唱する天堂真矢役の富田麻帆さんと西條クロディーヌ役の相羽あいなさん、歌が圧巻な上に構図も相まって、もう受けとめきれないくらいでした。

それが、都合3回(?)の出ハケのうち、最初の2回は先に相羽さんが場に立ち、後から富田さんが悠然とやってくる構図でした。
それが最後の1回、劇場版では十字架が出てきた後、「まやかしの微笑み」から始まるところだったと思うんですが、構図が反転しました。
富田さん(天堂真矢?)が待つもとへ、悠然とやってくる相羽さん(西條クロディーヌ?)。
※この辺りは半分願望が入っていたかもしれません。嘘ついてたら指摘してください。

そして曲を歌い終わり(※)、演奏が終わった後。
二人は下手にハケます。前を相羽さんが、その背中を追って富田さんが。

その構図で帰るシーン、あるんだ……
劇場版本編で描かれていなかっただけであったシーンでしょう、というのはそうなんですけど、でも本当にあったらびっくりする。
既に出来上がった映画の世界を公式が拡張していいんだ。できるんだ。

※最後の歌詞「ああ あなたは…!」の後、昼の部でも夜の部でも富田さんの息遣いが入っていました。あの一瞬の吐息に「西條クロディーヌ、あなたは美しい」のセリフが詰まっていた気がします。というか聞こえました、言ってないだけで。)

照明効果の妙(4DXたるゆえん)

冒頭に4DXと表現しましたが、4DXらしさを一番直接にもたらしたのは、照明効果だったと思います。

  • デコトラの電飾。

  • ポジションゼロを踏んだ星見純那に集う灯台の光の束。

  • 愛城華恋と神楽ひかりの口上に合わせてそれぞれ塔(?)とキラメキ(?)を形作るライト。

  • 「最後のセリフ」で立ち向かう愛城華恋に向かってくる光さながら向けられる照明。

ほかにもあったはずなんですがもう思い出せない。眩しすぎた。

足りない……

ほかにも色々と語るべきことがあって、

  • 「約束タワー」が流れるバックで流れるアニメ本編を編集した映像で、並木の向こうに見えてくる夜の東京タワーをアオリで映す絵(ひかりを探して駆け回る華恋の視界)がめちゃくちゃ素敵だった、とか、

  • 生田輝さんが残念ながら参加できず、「わがままハイウェイ」では録音の歌声が流れたのですが、掛け合いもあれば、聴いている分にはテンポがかっちり定まっているわけでもないのに、オーケストラの演奏と伊藤彩沙さんの歌とバックの映像がきちんと合っていたのはどういうことなのか、とか、

あの2時間を受け止めるのに何倍の時間が必要なんでしょうか。

あとがき

何にせよ、この舞台の映像は必ずBlu-rayの形をとって世に出てもらわなければならないし、生田輝さんもそろって本当に9人でやってもらわなければならないので、まだオケコンが終われない。沼が深まる。

しかも2023年に新作舞台やるんですか。沼が増える。助けて。

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