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論語と算盤

大丈夫の試金石

真の逆境とはどういうものか?
世の中普通に暮らしてると平穏無事に日々を送れるが、天候や国家社会すらもときとしては災害や革命などが起こらないとは言えない。
渋沢栄一も維新前後の世の中がめちゃくちゃな時に生まれ、さまざまなことを乗り越えてきた。
維新の際における世の変化はとんな勉強家や知能があるものでも逆境に立たされることは大いにあると言っている。
実際渋沢は尊皇討幕、攘夷鎖港を目指し行動していたのに後には一橋家の家来になり、幕府の役職につき、勉強してこいとフランスに行って帰ってきたら幕府が倒されて、王政に変わっていた。このような予測できない変化はあるものだ。

このような自分では対処しきれない、自然的な逆境を対処するにはどうしたら良いか?

それはそのことが自分の本文であると覚悟するのが唯一のことだろう。
って言っている。
足を知って分をわきまえ、それは天命だから仕方ないとあきらめるならどんな逆境でも心は穏やかになるだろう。
そのような自分でコントロールできないものを自分の力でコントロールしようとすると苦労して結果が出ない状況になるだろう。

故に自然的逆境の対処はまず、天命を安んじ、おもむろにくるべき運命を待ちつつ弛まず、屈せず勉強するしかない。

しかし、世の中自然的逆境はそう多くない。
世の中の多くは人為的逆境である。
その時は自分の悪いところを振り返って直す他ない。

世の中の大半は自分がこうしたいと奮闘したならば大概はそのようになる。
でも多くの人は自ら幸福の運命を招こうとせず、自分から捻くれて逆境を招くようなことをしてしまう。それでは幸福な生涯を送れるはずがない。

得意時代と失意時代

人は調子のいい時は調子に乗りやすい。
だからこそうまく行ってる時でも気を抜かず、うまくいかない時だからと言って落胆せず、平常心をもって道理を踏むことが大事である。
また人の考えは多種多様であり、自己の損得を代第ニに考え物事に対して最善の方法を取る人もいれば、自己の損得を第一に考え、または何を犠牲にしてもその事を成就仕様とする者もいる。

渋沢は次のように答える
まずは事柄に対してどうしたら道理にかなうかを考え、そのやり方が国家社会の利益になるか考え、さらに自分の利益になるかを考える。
そうしてみた時にもしそれが自分の為にはならないけど、道理にかない、国家社会をも利益する事なら、僕は断然自己を捨て、道理のあるところに従うつもりである。と言ってる。

国家社会の役に立つという視点はとても大事だと思うが、自分を捨ててそちらを優先するって考えが、今の僕にはなかったな〜っていうのと、本当に大きな事を成し遂げる人はそうなんだろうなって思った。
自分を大切にはもちろんするけど、全体をしっかりとみて、その上で自己の立ち回りを決めるっていうことが結果的にいいのだと思う。

また渋沢は
調子に乗るのは良くない。
大体失敗する時は調子に乗ってる時だ。
困難を乗り越えた時や大ごとに直面した時は心を締めてかかっている。これは真理だと言ってる。

自ら恥をとれ

青年のうちには大いに仕事したいが頼みにゆく人がいないとか援てくれる人がないとか見てくれる人がないとかがある。なるほどいかなる俊傑でも、その才気担略を見いだす先輩なり世間何がなかったらその手腕を施すによしないことだ。
しかしもしその人に本当に手腕があれば

要は才能が溢れていても活躍するには活躍する場を上の人や世間に用意してもらう必要があるということ。
どうすれば用意してもらえるかを考えることが重要。しかし本当に実力がある人は世間がほっとかない。なので世間にほっとかれている人はまだまだ実力が足りないという事。

古語に千里の道もあほよりすと言ってある。たとえ自分はもっと大きなことを する人間だと自信していても、その大きな事は片々たる小さなことの集積したものであるから、どんな場合をも軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を込めてその一事を完全に成し遂げようとしなければならぬ、秀吉が信長から重用された経験もまさにこれであった。
与えられた仕事に その時の全生命をかけて真面目にやりえぬものは、いわゆる功名利達の運を開くことができない。

雑用をする人のNo.1になれということ。
目の前の仕事の大きさに関係なく真摯に向き合うことが大切ということがわかる。特に自分への戒めにしておこう。大きなことをしたいと常々思っている分、他のことを軽んじてしまうことがないように。
そういう人は魅力的ではない。
置かれた場所で精一杯作努力と、どこで咲くのかを必死に考える努力どちらもしていかなければならない。

大立志と小立志の調和

1度立てた志を 途中から外に帰ることがあっては非常に不利益が伴うから立志の当初最初も慎重に行う必要がある。
その工夫としてはまずは自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長するところに向かって志を定めるが良い。またそれと同時に、自分の境遇がその志を成し遂げることを許すやいなやを深く考慮することも必要で、例えば体も強壮で、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立てても、これに資力が伴わなければ、思うようにやり遂げる事は困難であると言うようなこともあるから、これならいずれから見ても一生を貫いてやることができると言う確かな見込みの立ったところで、初めてその方針を確定するがよい。

人生の大部分は山に登る行為ではなく、どの山に登るかで決まるということかな。山に登り始めてやっぱりあっちの山がいいと思っても簡単に登る山を変えらればいのと同じ。
だからこそ山選びは重要。
これを一般社会に置き換えると、どのスポーツをやるのか?大学はどこに行くのか?就職はどうするのか?どういう人生を思い描きたいのか?などかなと。

そしてどこの山に登るかを決める判断材料として能力と環境がある。 頭が良くて体も丈夫でもお金がなければいい大学には 行く事は難しいし、才能を生かすことも難しい。
またやる気があり真面目でお金もあっても運動の才がなければオリンピックで優勝する事は非常に困難である。

これは長年自分でも考えてきた本当の幸せは好きなことをやるのか?それとも活躍できることをやるのか?の問いに大きな影響与える文だった。

孔子は15にして志、30にして立ち、40にして迷わず、50にして天命を知る。

つまり15歳で立志をし、30歳にして社会的に認められ、40歳にして惑わされることがなく立志が完結し、50歳で自分の天命をしる(自分の人生の意味をしる)。※至希的勝手な解釈。

立志の要はよく己を知り、身の程を考え、それに応じて適当なる方針を決定する以外にないのである、誰もがそのことを考え向かって進むように心がけるならば、人生の行路において間違いの起こるはずはそうそうないこと信じる。

論語と算盤

まずは自己分析、そしてそれが達成できるかどうかを考えて、目指すべき方向を決めるしかない。この考え方は理にかなっているのかもしれない。でも大きな夢を追いかけるのを否定されている気もする。それが天命と言うならば、 僕は大きなことを成し遂げてそれに抗いたい。

そして25歳の今、自分の天命を知ることができで、 社会的に認められるような実績を残し、40歳までには自分の志以外に惑わされるものがない状況を作る、これに今は奔走したら良いのじゃないかと思っている。

常識と習慣

常識とは「智・情・意」の3つがそれぞれ均衡を保ち平等に発達したものが完全なる常識である。

智恵と情愛と意志の3つあってこそ人間社会の活動もでき、物に接触して効能を現していけるものである。

今の世の中は意志を強く持てというが、意志だけあっても困るもので、強固なる意志の上に聡明なる智恵を加味し、これを調整する情愛を持つことが大切。

人と会う時などはこの3つを視点にみることにしています。

人生は努力にあり

渋沢栄一は70歳になっても怠ることはしない。若い人はなおさら勉強しないといけない。
怠惰はどこまで行っても怠惰で、怠惰からは絶対に好結果が生まれることはない。
だからこそ人は良き習慣を作らないといけない。すなわち勤勉努力の習慣を作らないといけない。

とても当たり前のことだけど、渋沢栄一が言っていて、やっぱり当たり前のことがとても大切で、そしてしっかりやることが難しいからこそ、しっかりやろうと思った。

真正の利殖法

己の利益だけ、自分さえ良ければという考えはうまくいかない。
例えば鉄道の改札場を通ろうとしたら狭い場所に自分が先に通ろうとみんなが思ったら誰も通ることができなくて共に困難に陥る。
このことから物事を進めたいという欲望というものは人の心を持たないとできない。



論語と算盤を読んで

この本を読んで、一番は勤勉であれということなのかなと感じました。
智情意を高めて常識を備えて、良き習慣を身につけることが大切だと。
それができれば大抵のことはできるし、叶う。
しかし自分のコントロール外のどうしょうもないことが起こったら、それは自分の天命だと受け入れて、出来ることとできない事をしっかりと区別してできることに注力すべしという事なのかなと思いました。

また自己の利益を優先するより、国家社会や周りのことを優先した方が周り回って自分の幸せに繋がるというところは理屈はわかるけど、なかなか落とし込むのには時間がかかりそうだと感じました。それでもその考えを頭の端に入れながら、今後の人生の選択をしていきたいと思います。

それでは次の本の紹介で会いましょう!

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