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ある建物の解体前の片付けに立ち会った。建物の歴史は古く70年近くこの地域の景色を見守っているそうな。上下階の外観から感じ取れる、植栽が絡み合った昔ながらのコンクリ技術による建物は言わば、仙人的オーラを放つ佇まいである。仙人。それもそのはず、戦後からの老朽化と毎年の台風の積み重ねで豪雨が来ようもんなら二階の天井をぶち破り、床を伝って一回まで雨水が浸水してくる。たとえば湿気による梅雨真っ最中はノミやダニの最盛期となる。そういえば借主が宮古島不在のとき、大雨が降った。不安で明け方6時前から家を後にし、建物が浸水していないか様子を見に行ったもんだ。この界隈の建物も随分スクラップアンドビルドを繰り返して、このような雰囲気をまとった建物はずっと少なくなった。解体片付けの途中で、歩いてたおっちゃんが話しかけてきた。「この建物の面影あるんだけど、なんだったっけ?」。「元は高嶺歯科という歯医者でした」。建物の主の祖父は歯科医師で新築当時から街の歯医者さんとして開業したそうで、話しかけてきたおっちゃんは幼い当時の患者さんだったようだ。ひらめいたような顔つきで、「昔は足繁く通ったもんだ」と、思い出しながらニコッと笑って昔の情景を話してくれた(歯がご健在であることを願うばかりである)

今では向かいの空き地や近くの駐車場は昭和時代、病院やクリニックなどが点在しておりとにかく医者にかかる人たちが出入りしてた地域だそうだ。その場所からもう少し北に進めば西里通り。宮古島の商いの中心地で今でも賑わいを見せる通称である。昔から水の通りがよく、商人の街として盛え現在に至る。一方で、繁華街からひっそりとあるこの場所は街中のサロン的場所。昔は夜な夜な医者や先生や学者やご近所さんが酒を携えて集まっては、ああでもないこうでもないと言いながらくっちゃべってるのが想像に容易い。解体することが決まるとデジャブか?っていうくらい、入れ替わり立ち替わりで建物を崩す前に来る客が巡り巡って色んな話題を運びこむ。現所有者のお母様がはじめたギャラリーが解体した年で20年目になるらしい。

偶然にも、偶然にも?新たに建て替える建築物もギャラリーとして再開させる予定だ。歴史は繰り返すというが、いつでも血が通っている循環的な場所として営んできた経緯がある。脈々と受け継がれてきた大切な場所だからこそ次の世代に継承する役割を担うこともひとつの過程であり、歴史の繋ぎ目として向き合っていきたい。

2023年9月追記

親族の叔父(80歳)が幼少期の頃に今は亡き祖父の馬に連れられて『高嶺歯科』に通院していたとか。



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