Yosuke Matsubara

1988 / 宮古

Yosuke Matsubara

1988 / 宮古

最近の記事

Springing

皆さん、春してますか。 今年もすっかり春めいてしまいました。 春を意識した2月のピアノソロライブを経て、自然の摂理における春の訪れは無意識に人々の心を陽気へと誘います。島内だけでも行く先々の眼に留まる植物は新しい芽が役目を果たし終えた先輩の背後に忍びよるかのように今か今かと生命力に満ち溢れている季節ともいえます。特にソテツの新芽は例年と比べても今年は特別カールしている印象です。 人間の寿命は人生80年から100年時代だとすれば、春を意識できるのはあと半世紀ほどなのかもしれ

    • Melody at the Night with you

      『声は何もなかった島の静けさの記憶を呼び覚ましてくれると思います』 ガス屋の天久さんはピアノ弾きの歌い手"浜田真理子"さんの2017年当時の宮古島初ライブにこう寄せています。 "声は何もなかった"。 この一文から想像できるのはまだ誰も存在しておらず名前もなかった太古の宮古島のことなのかもしれません。 夜明け前の静寂に包まれた島としてもイメージすることができます。 情報が溢れるこの時代に色々な言語が飛び交う毎日とはほど遠い何もなかった時代。もちろん言語化することで人間同士は

      • アボカドトースト

        『すみません!アフォガートください!』 お店に来店するや否やメニューを頼まれた。時計の短針は真下を指していた夕刻だった。開口一番にアフォガードを発したのは家族連れのお父さん。中学生らしき娘さんとまだ幼い双子の女の子を連れて。お店の営業時間に合わせて急いで車で20分かけてやってきた5人組のご家族だった。お母さんは車を駐車場に置いてから向かっていますとのこと。"アフォガート"とはイタリア語で(溺れる)を意味しており、アイスクリームにエスプレッソをかけたものを指します。アイスクリー

        • 新緑そよぐ青

          年末年始にかけてジャズピアニストのキースジャレットのアルバム「ザ・ケルン・コンサート」を馴染みのバーのマスターからおすすめされたことをきっかけにずっと繰り返し聞いていました。1975年に収録された約半世紀前のライブコンサートの模様ですが、ジャズピアノというカテゴリーの枠を超えて今でも語り継がれている名作ということで聞き始めたのですが、美しい旋律はもちろんのことキースの即興的なパフォーマンスが伝わる作品です。 1975年のキースは当時20代でその頃から世界的に活躍しており各地

          淡々とそして脈々と

          「冬のにおいがするよ」と某ジャパニーズポップスターのように、とても微笑ましく福岡の大通りで隣を歩いている友達が楽しそうに言った。なにしろ島に住んでいると歩かないので久しぶりにとても歩いた。島では散歩という概念が淘汰され車社会に染まり散らかしている。と勝手に思っている。 12月の福岡は2年ぶりで、とても暖かかった。(寒くないんかい)。正確には滞在中は晴天に恵まれて雲ひとつなく、さえぎるものがないのでお天道様のまなざしを感じざるを得ない日々だった。こんなに晴れてると白昼堂々計画

          淡々とそして脈々と

          it's what's inside that`s counts

          「文化といふ言葉にはこのころよく耳をするけども、それはどういふものを説明し得る人は存外に少ない」。これは日本の民俗学や伝統文化を研究する草分け的存在の柳田國男が昭和18年に出版した自著の中で記しています。 それから、1世紀近くが経過した現代において日本のラッパーである鎮座DOPENESSなどが参加している曲"BUNKA"では「あれも文化、これも文化」と1980年代から90年代にかけて今日までも色褪(いろあ)せることなく世界中の音楽シーンの基盤となった歴史を鎮座流のラップで紐解

          it's what's inside that`s counts

          Stone in Focus

          石の上にも3年という言葉があります。 どんなに辛くても辛抱していれば、やがて、何らかの変化があって、好転の芽が出てくると言うこと。 芽が出るまでは辛抱しろ、我慢しろという意味で一般的には使われていると思います。 意味は違うかもしれませんが、宮古島は石灰岩だけで構成された島々だと言います。石灰岩とはつまり珊瑚礁の死骸のことで珊瑚が堆積して隆起(浮き上がってできた)して形成されたのが宮古島です。最近の研究によると少なくとも40万年前には水没しては隆起してを何回か繰り返していたと

          LA to NY

          LAは吸う空気と吐き出す空気で自分はいま乾燥地帯にいるんだと実感させてくれる。島の湿った気候とはだいぶ異なりなんだか呼吸が楽しい。小学生の頃は寒い冬の朝、登校したら吐き出す息が白くて吸い込んでは吐いて吸い込んでは吐いてと呼吸を一生やってた感覚に近い。 宮古島からは1日以上かけ移動し、LAの砂漠気候に降りたったことはかなり新鮮であったことを覚えている。ちなみに『サハラ砂漠』の"サハラ"とは"褐色の無"という意味らしい。果てしなく広がる褐色の光景を眺めてみたい。 2016年のL

          海は見て見ぬふり

          ここ最近の日課はひとまず朝起きたら、走りに出かけることである。いや、"走りに出かけていた"が正確かもしれない。いや、正確には海岸まで車で行ってそこから海沿いを走ることを日課にしていた。なぜその海岸沿いなのか聞かれると素敵な回答があるわけでもなく、単に人目に触れることがないため気を張る必要がない。海沿いというワードは都会の人からするとさぞかし美しいイメージをするかもしれないけどそんな意識はしてない。そんなこんなで今年も泳いでない。 そしてそんなこんなでもう10月になり夏も去っ

          海は見て見ぬふり

          過ぎた時間がどこへ行くのか,そんなの誰にもわからない

          秋の時期です。 先日まで渡り鳥の展示を開催していました。かつての宮古島に飛来してきたサシバの何千もの光景が並んでいました。黄色い目が特徴的なサシバはひと昔前の宮古島の人々にとってとても身近な存在としていたそうです。季節感があいまいな宮古島にもサシバの飛来がお便りとなって秋を届けにきてたのかもしれません。そんなサシバはピーク時には1万羽もの飛来があったといいますが今はめっきり数が減少してしまいました。開発とともに環境が変わり獲物となるネズミや虫といったエサも少なくなり、それに伴

          過ぎた時間がどこへ行くのか,そんなの誰にもわからない

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          ある建物の解体前の片付けに立ち会った。建物の歴史は古く70年近くこの地域の景色を見守っているそうな。上下階の外観から感じ取れる、植栽が絡み合った昔ながらのコンクリ技術による建物は言わば、仙人的オーラを放つ佇まいである。仙人。それもそのはず、戦後からの老朽化と毎年の台風の積み重ねで豪雨が来ようもんなら二階の天井をぶち破り、床を伝って一回まで雨水が浸水してくる。たとえば湿気による梅雨真っ最中はノミやダニの最盛期となる。そういえば借主が宮古島不在のとき、大雨が降った。不安で明け方6

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          With CANVAS

           10年パスポートを再び更新してから1年半立つが未だ手付かず空白のまま。 なにしろ移動の制限が徐々に現れはじめた2020年の頭に訪れた東欧の国ジョージアを最後に前のパスポートは役目を果たし終えた。感染症がはびこるこの時代において移動することに様々な制約が作られては混乱が絶えない。思えば、年に一度は海外へ移動していたことが懐かしい。と言っても、何十ヵ国行ったみたいな経験ではなく大体のページがアメリカ。 若気の至りで当時は海外といえばアメリカだった。旅の道中やその旅行先ならでは