関わる人、飛び込むこと

育った環境とか、生い立ちとか、境遇とか、今の状況は、自分の努力でも、周りの努力でも、どうにもならないんだと思うんだ。

で、私たちはさ、絶望した時につい、そのどうにもならないことを頭に全部並べて落ち込むんだよ。そんなことしたって、どうにもならないんだから、絶望を深めるだけなんだけどね。

今この瞬間までの過去は、どうやったって変えられない。それは逆立ちしても何しても無理。でも、変えられるものが必ずある。

それはさ

今の状況やその気持ちと向き合うために自分が過ごす今のこの場所、環境、仲間、時間。それは、変えることができるんだなって、最近思う。

ただ、変えようととする自分の意思がないと、土台無理。

そんなに大変な状況も、知ってもらわなきゃ誰からも理解されない。寂しいなら仲間を作らなきゃいつまでも独り。何一つ自分から動かずに、話を聞いてもらう相手と知り合うことも、自分に救いの手を差し伸べてくれる誰かと繋がることも不可能。

努力するべきは、そこなんだよね。

これまでの環境や今抱えてる問題を解決することにいくら努力しても、そんな簡単に解決できるわけないよね。だからこそ今もなお問題のまま抱えてるわけなんだからさ。そういう様々な問題を抱える自分の生きるステージ、環境を整える、注力すべきはそっちなんだなって。

そうやって少しずつ環境を整えていった先に、問題解決の糸口が見つかる、そんな気がする。

救うとか助けるって、問題を解決するってことじゃないんだよね。もっと根っこの部分、もっと力を与えてくれる部分。

そのためにはね、出逢わなくちゃ。

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