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自動運転の時代は来るのか?

昨今、自動運転への期待が膨らんでいるが、多くの自動運転車が公道を普通に走り、私たちが不通に利用できるような時代は来るのだろうか?技術的、コスト、社会受容性の観点で考えてみた。

技術面

ウェイモを筆頭として多くの企業が自動運転技術を開発し、公道試験を行っているが、まだまだ道のりは険しいようである。晴れの日でほとんど車がいない状況であれば自動運転はすでに実用化に近いと言えそうだが、実際には様々な状況に遭遇する。例えば、渋滞中の車線変更や合流で多少強引に割り込まなければいつまでも先に進めないということが起こり得る。その他、猛吹雪で前が見えない状況、停車車両が邪魔で通れない状況など、対応しなければならない状況は多い。

もちろん、各社はAIを使った画像認識でこういった部分にも対応できるよう試験を続けているようで、時期は不明だが自動運転の時代は来るかもしれない。日本では高速道路で(かなり限定された状況で)レベル3自動運転が実用化されようとしている。

コスト

コストは当然一般車両よりも高い。なぜなら多くのセンサーや地図データを必要とするからだ。自分で自動運転車を所有するのは相当ハードルが高いと言える。一方で、完全自動運転になるのであれば車を購入する必要がなく、呼べば来てくれる無人タクシーのようなサービスとして利用ができる。タクシーの利用料よりも自動運転車の利用料の方が安ければ、多くの人は自動運転車に流れる可能性がある。

社会受容性

自動運転車の事故の問題をどう扱うかは大きな課題である。人が運転すると日本だけでも毎日のように死亡事故が発生しているが、もし自動運転車が1件でも死亡事故を起こせば大きな社会問題に発展する。一方で事故を1件も起こさないというのはほぼ不可能である。なぜなら、相手の動作により、絶対に避けきれない事故があり得るからである。60km/hで走行中に突然横から自転車が飛び出して来たら避けきれない。

これについては事故原因を早急に特定することで解決できる可能性はある。人が運転していても絶対に防げなかった事故であることを証明できれば、自動運転車への責任追及は回避できる。車についているカメラ等で証明は可能だと考えられる。ただ、人が運転していたら回避できた事故(システム設計のミスなど)であればそうはいかない。

この場合、加害者は車両メーカーまたは(販売を承認した)国が責任を負うことになる。絶対に事故を起こさない車を作ることが難しい以上、車両メーカーや国が責任を負う前提で進めるのは難しい。逆にここが解決できれば、自動運転の社会受容性はクリアなのではないか。

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