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東北一周自転車旅(11)宮城県南三陸町〜気仙沼市

東北一周自転車旅
第11ステージ
宮城県南三陸町〜宮城県気仙沼市(46km)

南三陸ホテル観洋の伊藤さんから日の出が綺麗だと伺ったので、5時20分に起きた。日の出の瞬間は曇に隠れていたが、少ししたら雲の隙間から太陽光がパッと海を照らした。それがとても綺麗だった。ウミネコもやってきた。部屋の窓からこんな景色を眺められるなんて幸せだ。

南三陸の日の出

とはいえ、さすがにもう一度寝て、今度は7時半に起きた。朝風呂に入り、朝食。バイキングが充実していて、またおなかがはち切れそうなくらい食べてしまった。サメのシーチキンがあった。

栄養たっぷりの朝ごはん

そういえば深夜、地震があったからドキッとした。なんと言っても場所は南三陸の海を見下ろすホテル。これだけ震災遺構や教訓を見ていても、いざ本当に地震が来たら、冷静に判断できる気がしなかった。

9時半にチェックアウトしたあと、ホテルのティーラウンジでコーヒーを飲みながら昨日の日記を書いた。伊藤さんとの再会の話だからすごく分量があったし、これを書き切らないと気持ちよく出発できない。

眺めの良いティーラウンジで集中できた

今日の自転車旅が始まれば、また道中でいろいろなモノを見て、いろいろなことを考えてしまう。その際に、「昨日の出来事や感情も覚えておかなきゃ」と意識すると脳の余白が少なくなり、せっかくの今日の出来事の吸収と消化が悪くなってしまう気がする。たとえば、一週間の旅行が終わったあとで一度に振り返ろうとすると、「あのレストランに行ったのは2日目だっけ? 3日目だっけ?」となりがちで、それを避けたいのである。

日記って、「忘れないため」に書くのだけど、それと同時に、「忘れるために」書くものでもあるのかなとよく思う。脳のスペースをきちんと空けておくために書くというか。ぼくにはそんな感覚がある。昨日までの出来事をきちんと書き残しておけば、安心して今日の出来事を吸収できる気がするのだ。

そういうわけで、2時間半集中して文章を書き、ようやく12時に日記が完成した。Twitterだけアップして、noteは今夜の宿に着いてから。随分出発が遅くなってしまったけど、これで新しいものを吸収するための余白ができた。パソコンで言えば、「バックアップを取ったから最悪データが消えても大丈夫」というイメージだろうか。経験して書く、経験して書く。ぼくは旅をしていても、していなくても、これの繰り返し。書くのは読者のためでもあり、自分のためでもある。記録は大切だ。

さて、南三陸町を出発し、今日も国道45号線をまっすぐ海沿いに走る。リアス式海岸はやはりアップダウンが多く、なかなかしんどかった。

東北の海沿いは新しい道路が多く、非常に走りやすい

坂の途中で、「ここから過去の津波浸水区間」という標識が頻繁に出た。「え、こんな高さまで!?」と驚くばかりだった。津波の高さ15メートルとか言われてもピンとこないけど、自分がその場所に立って「ここまできた」と言われるとゾッとする。

津波がかなりの高さまできていたことを実感

「道の駅 大谷海岸」で休憩。ゆずソフトがおいしかった。

「道の駅 大谷海岸」のテラス席

もう気仙沼の港までは残り15kmほど。順調に着きそうで良かった、と思っていたときに、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」が右折して1.5km先にあるという標識が出た。気仙沼という地名を知ったのも震災がきっかけだったし、ここも甚大な被害が出た場所。せっかくだから寄り道しておこう。

国道45号線は仙台から海沿いを通り青森まで続いている

ここは、もともと気仙沼向洋高校だった場所。津波で流されてきた冷凍工場がぶつかり、校舎の壁はめくれていた。「冷凍工場が流されてくる」ってすごいことだ。

めくれた校舎の壁

結論から言うと、この伝承館はこれまで見てきたどの施設よりも訪れて良かった場所。ぜひとも多くの方に訪れてほしい場所だと強く勧めたい。校舎の3階部分(高さ8メートル)にまで車が流れ込んできて、それがそのまま残されているのも衝撃的だったけど、とくに意義深かったのはここで上映される映像を観られたこと。それは被災した個人が撮影した、テレビではほとんど観られなかった生の津波の映像だった。

津波により運ばれてきた車

いや、震災当初はこういう映像もあったかもしれない。でも、今となっては地上波で流すことはもう難しいだろう。その場で被災した方にとっては気分を悪くする映像だと思うから。でも、直接的にこの地震を経験しなかったぼくは、「実際に何が起きたか」を知っておきたい。こういう生の映像を見ずに過ごせば、あるいは忘れてしまったら、津波に対する危険認識が甘くなると思うから。大量の車がおもちゃのように流されていく様子、目の前で自分の家が崩壊されているのをカメラで収める人、泣き叫ぶ生徒たち、迫り来る津波から逃げる車、「早く逃げてー!」と叫ぶ女性……。なんだか本当に現実ではないようだった。表現は適切ではないかもしれないけど、映画よりも迫力があって、釘付けになって観てしまった。

脅威を正しく認識することが、次の災害から命を守ることにつながる。そういう意味で、津波の恐ろしさをきちんと思い出させてくれる施設だった。まさに百聞は一見にしかず。津波の映像以外にも、NHKの短いドキュメンタリー映像が3つ上映され、それもどれも良かった。涙なしでは観られないものだった。

ここでも車が積み上がっている

かつて校庭だった場所は、現在パークゴルフ場になっている。震災遺構の隣でおじさんたちが楽しそうにゴルフをしていて、なんだか人間ってたくましいなと感じた。

校舎横のパークゴルフ場

映像には、震災からわずか11日後に行われた気仙沼市立階上中学校の卒業式における、卒業生代表・梶原裕太くんの答辞のシーンもあった。

「命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です」

施設から出てきたときの夕暮れの空と海がすごく綺麗で、彼の言う通りだと思った。たとえ大津波をもたらしたとしても、自然に悪気はない。天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく。涙を流しながら立派なスピーチをした彼は今、27歳くらいになっているはず。どこで何をしているのだろうか。

気仙沼の夕暮れ

18時前、「気仙沼プラザホテル」に到着。南三陸のホテルと同系列で、また伊藤さんが手配してくださった。部屋や露天風呂から気仙沼港を見下ろせた。

落ち着く和室

夜は、この旅で初めて、ひとりでお酒を飲んだ。気仙沼のクラフトビールの名店「BLACK TIDE BREWING」はどうしても飲んでみたかった。4種の飲み比べセットを注文。海外で飲むようなクラフトビールの味で、どれもおいしい。「MONSTER GOLD」が特に気に入った。

飲み比べセットは1500円。意外と量があた。

その後、カツオが食べたくて「鳴月」という小さなお店に入ったのだが、カツオはもう終わってしまっていて、マグロの漬け丼しかなかった。サンマもなく、ガッカリしているぼくを、お店の方や他のお客さんたちが慰めてくれた。

マグロ漬け丼定食

「明日の朝、鶴亀食堂に行けば食べられるかもしれない」

そのお店は、ぼくも調べていて、もともと行こうと思っていたお店だ。しかし、やはり地元の人は有益なことを教えてくれる。

「小さいお店で、8時以降は混むから、私はいつも7時のオープンと同時に行く。そしたら空いてるよ」
「ありがとうございます。ぼくもそうしてみます」

帰り道に「アンカーコーヒー」でドーナツとドリップコーヒーをテイクアウトし、宿に戻ってきた。明日から週末なのを忘れていて、一関あたりの良さげなビジネスホテルがなかなか見つからない。昔ながらのビジネスホテルは禁煙の部屋がない場合も多く、いつもとは勝手の違いを感じる。また、電話でないと予約できない民宿もある。明日の朝、考えてみよう。

原稿のお供

<今日のお金>
ホテルのコーヒー 440円
ゆずソフト 400円
伝承館 600円
クラフトビール 1500円
夕食 2500円
コインランドリー 700円
ドーナツとコーヒー 960円
飲み物とラムネ 295円
ホテル 7850円

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