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「あなたは将来大物になる」

「中村くん、○○さんってお客さん、覚えてる?」

ある日の昼休み、添乗員の先輩が言ってきた。

「○○さん? あ、以前フランスの添乗でお会いした方かな。確か、元テレビ局の」

「そうそう、実はこの前韓国の添乗に行ったときに、○○さんとご一緒して、『編集部です』と言ったら、『じゃあ、編集部の中村さんを知っているか』ってすごい勢いで食いついてきて」

「え笑」

「それで、『中村さんはね、彼はすごいんだよ。将来必ず大物になるんだよ』ってしきりに言ってたよ笑 何があったのか知らないけど、中村くんのこと相当気に入ってて、俺、立場なかったよ笑」

「笑」

ぼくのいないところで、そんなことがあったなんて。窓の外の景色を眺めながら、フランスでの出来事を思い出していた。

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2014年8月に添乗したそのフランスのツアーは少し変わっていて、「周遊型」ではなく、「滞在型」のツアーだった。アルザス州のストラスブールという中規模都市に10日〜30日間滞在して、周辺の街の観光や滞在を楽しむ。それがツアーの趣旨だ。

ぼくが添乗員を務めるグループ以外にも複数のグループがストラスブールに滞在しており、同時期に4名の添乗員と100名弱のお客さんがいた。

毎日、それぞれの添乗員が別々の日帰りツアーにご案内するのだが、あるとき、「お客様のひとりが怒っている」という情報を耳にした。理由を聞いてみると、ぼくが関係していたので驚いた。

当初の予定では、ぼくはその翌日、ドイツのバーデンバーデンという町にご案内することになっていた。しかし諸事情があり、別の社員と担当を入れ替わることになった。そこで、「明日のバーデンバーデンは、中村ではなく、××がご案内します。中村はオベルネをご案内することになりました」とお客様に告知をしたわけだ。

その告知のあと、しばらくして上司から電話がかかってきた。

「困ったよ。お客さんの○○さんが怒ってる」

「どうしてですか?」

「『私は中村さんがバーデンバーデンを案内してくれるというから日帰りツアーを申し込んだんだ。中村さんじゃないならキャンセルさせてほしい』とおっしゃってるんだ」

その○○さんというのは、ぼくのグループのお客様ではないのだが、前日のストラスブールの散策でぼくがご案内した方だった。ご案内を終えたあと、ぼくに話しかけてくださったからよく覚えていた。

「いやあ、中村さん、感心しました。あなたの解説は通り一遍ではなく、奥が深くて実に面白い。次から次へと話が展開していく。明日はバーデンバーデンを案内してくださるんでしょう? 中村さんの話を楽しみにしてますよ」

「ごめんなさい、実は急遽、明日はオベルネという町をご案内することになりまして…」

「え!? 中村さんじゃないの?それは残念だなあ…」

このお客様がぼくの上司にクレームをあげたのは、この会話のすぐ後のことだった。

「私は中村さんがバーデンバーデンの魅力をどのように解説してくれるのか、それを楽しみにしていたんだ。中村さんじゃないならキャンセルする」

そう怒っていたのだという。そして翌日、ぼくはオベルネという町に皆様をご案内するためにストラスブール駅の集合場所に向かったのだが、着いてみてびっくりした。10名くらいしか参加しないだろうと思っていたのに、全部で32名もいた。予想を超える人が集まっていたのだ。そして着くなり、初めてお会いするお客様たちから次々と声をかけられた。

「あなたが名ガイドの中村さんですね? 今日は楽しみにしていますよ」

「名ガイド? え??笑」

「○○さんがしきりに言ってましたよ。『中村さんの話は一度聞いた方がいい』って。それでどんなものか気になって来たんですよ。ほら、○○さんもいらっしゃいましたよ」

「中村さん、昨日はありがとうございました。どうしてもあなたの話が聞きたくてね、オベルネのツアーに変えさせてもらいましたよ。あなたには昨日初めてお会いしましたが、ただ者ではないと感じました。その目を見ればわかります。私は長年テレビ局で働いていましてね、そういう嗅覚はあるんですよ。あなたは将来大物になる。この会社での経験を生かして、どんどんステップアップしてください。それと、お名刺をいただけますか? きっと有名になる方ですから、お名前を憶えておきますよ」

誰かからかけられた嬉しい言葉を、人は案外ずっと覚えている。辛いとき、それらの言葉に自信をもらうこと、励まされることがきっとある。

もう6年も前のことなのに、あのとき、70代の紳士的なおじさまにそんなことを言われ、本当に嬉しかった。そしてその言葉が未だに、ぼくの心を支えてくれている。

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