りんごの絵

かすかに残っている記憶をたどると、あれはたぶん3、4歳ごろのことだ。
赤いクレヨンでりんごを描いていたら、そばで見ていた母親が、
「もっといろいろな色を使って描くんだよ」
と言った。母親はほかの色を赤いりんごの絵に重ねて描いてみせた。
そうなのか、と幼い自分は言うとおりに別のクレヨンを手に持った。
うろ覚えの記憶はそこまで。
私の絵の出発点には母がいた、と長年思っていた。
以前その思い出を母に話したら、「それはヤイコじゃないの?」という。
赤以外の色を使うことを私に教えてくれたのは、どうやら母の妹だったらしい。
叔母は切り絵などをしており、絵心があった。
それはともかく、その後は教えられたとおりにしたのかどうか、
幼稚園ではどうだったろう。絵を描いた記憶がほとんどない。
小学校、中学校時代の自分の絵を思い出すと、たいていは固有色で描いていた。

りんごと自分の付き合いは長い。
三十代、四十代はよくりんごを四つ五つ並べて鉛筆でデッサンしていた。
そして、思い出したように数年おきにりんごを油彩で描く。
いろいろな色を使って絵を描く、というのは簡単なようでむずかしい。
補色という手法も有効だろうが、それだけでは画面の色調は豊かにはならない。
りんごといえば、セザンヌだ。
あれほどりんごを追求した画家はいないだろう。
さまざまな配置や、他のモチーフを組み合わせた構成そして色彩を試み、
パリどころか、りんごで世界を驚かせた。
巨匠のりんごの絵にはさまざまな色が置かれ、色彩の調和は最高レベルに達している。
あのレベルで仕事をする画家はもうこの世には現れないだろうと思う。

私は、コンサートが終わった後に、ひとり、ステージで歌うようにりんごを描いている。
もう三十年ほどりんごを描いているのに、いまだにどう描けばいいのかが分からない。もっとも、根気がないので、数枚描いたらまた別のモチーフに移ってしまう。
冬場は実際に何個かをテーブルの上に並べ、夏場は写真を見て描く。
このところ、なにかつかみかけた気がしているが、たいていは上っ面の修行だ。
ようやく端緒をつかんだのかどうか。
驚く人はいないにせよ、振り向く人くらいはいてほしいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?