コンピューターの国のこども(販促ですよ)

たとえばきみは朝起きる。部屋は快適な湿度に保たれている。空気清浄機の湿度センサーが乾燥を感知して、設定の湿度になるまで働いているからだ(タンクに水を入れ忘れていなければ)。

6年後だとしよう。きみはもう小学生のはずだ。顔を洗って自分で着替えたり、お父さんとお母さん(わたしだ)と一緒に朝ごはんを食べたりする。今の、すごく赤ちゃんなきみからは想像もつかないけれど、うまくいけばそうなっているはず。

その時、きみのまわりには、どれだけのコンピューターがあるんだろう。

パンをいい感じに焼くのはもうトースターに任せられるだろうか。歯ブラシは歯のみがき残しくらいチェックしてくれるだろうか(でもブラシを口に持っていくのだけは自動化できない気がする。なんでか)。教科書はどれくらいタブレットで読めるようになっているだろう。文字を読むのが苦手な子のために、読み上げ機能なんかついているといいな。お父さんとお母さんは今日はめんどうくさいから家で仕事をするけど、きみは歩いて学校に行かなきゃならない。ざんねん。でも、なにかあったらこのブザーを押せば、位置がわかってすぐ大人が飛んできてくれるからね。

きみはいろんなことをコンピューターまかせにできる。そうして、自分にとって大事なことに時間をたっぷり使えばいい。ええと、わたしは子供のころは不動産のチラシを読み込んで理想の家の間取りをつくるのに夢中だったんだけど、きみはどうかな...ゲームとか、図鑑とか、鬼ごっことか空手とか? 遊び疲れて家に帰ってくればお風呂はボタン一つでいい感じの温度で沸くし、わりと適当なお母さんでも、今ある材料で作れる料理を冷蔵庫が提案してくれてるから問題ない(この家では、いちばん食いしん坊なお母さんが料理を担当している。お父さんはちょっと美味しいものへの情熱が足りないからね)。

きみは気づかなくてもいい。周りには便利にコンピューターまかせにできることがあふれて、そのことを当然だって思ってていい。お父さんなんかはコンピューター科学の博士だから、そういうことよく言うよね。「仕組みを理解しなくても使えるのがコンピューター科学の勝利だよ」なんてね。

でも、きみはボタンを押す。扉が開く。タブレットを撫でる。遠い国のいとこが向こうで笑っている。あるいは照明が夕方に自動で優しい光に変わっていくのを見つめる。その美しいひとみで。

そのときに、「魔法みたいだな」って思うかもしれない。それから、「どうなっているんだろう」って。

そうしたら、いい絵本があるんだ。

絵がきれいだろう? フィンランドのすてきな女性が描いたんだ。色づかいが、あんまり日本の絵本ではみないね。青や水色、紫がきれいだ。寒い国の色だよ。もちろん、その中に光る赤や、黄色や、紅色だってためいきがでるくらいだ。

文章はどうかな...きみにも分かりやすいといいんだけど。実は、実はね、この絵本は、お母さんが翻訳したんだ。翻訳って、きみが知らない言葉から、きみが覚えた言葉に、分かるように置きかえること。7年前のことだよ。きみがおなかにいるときに、いつかきみと読めたらいいなって...きみが生まれる二日前に最初の原稿が終わって、生まれてからたくさん手直しして。ああ、いいやこの話は。つまり、きみと一緒に読めてうれしいよってこと。

ほら、最初はお話だ。ルビィって女の子がいるね。お母さんはこの子が大好きだ。勇気があって、元気で、知らないことに立ち向かう準備ができてる子。きみにそうなってほしいなんて言わないよ。お母さんが、こういうふうでいたいって思ってる。

ルビィは知り合いをふやすのと、新しい場所にいくのが得意だ。この絵本にはもう一冊、前のシリーズがあって...そっちから読めばよかったかな。でも、この絵本でもほら、困っているマウスと知り合って、それからコンピューターの中にもぐりこんでゆく。ウサギ穴から不思議の国に落ちてゆくアリスみたいに。ディズニーのアニメは観たよね?

面白いお話がおわったら、後半はれんしゅうもんだいだ。いやな顔しないで。わくわくするクイズみたいなものだよ。それにほら、このページを切り取って、紙でコンピューターだって組み立てられる。お父さんがずっと触ってる形のやつだよ。え、お母さんもいつも触ってる? そうだっけ?

でもれんしゅうもんだいは、やりたくなければやらなくてもいいや。まずはお話を楽しんで。そうして、読み終わったとききみの前には、いったいどんな世界が広がっているんだろう。

きみがタブレットのアイコンにさわる。それは命令だ。コンピューターの中を、0と1のビットたちが情報を伝える。小さなビットたちが、暗闇にきらきらと明滅するあのページをおぼえてる? それから謎かけ好きの論理ゲートがたちはだかる。CPUがえらそうに仕切る。でもCPUは覚えるのは苦手だったね。忙しやのラムに走って取りにいってもらわなくちゃ。GPUが、うっとりするような美しい、緻密な計算結果で画面をいろどる...。

ねえ、きみのまわりにはたくさんの、ほんとうにたくさんのコンピューターがあって、その小さな内側にはこんなに豊かな世界が隠れてる。もうきみは、その世界のことをイメージできる。きみは、ルビィみたいにコンピューターの中に入っていける。

それでどうなるかって? それはきみしだいかなぁ。興味があればもっといろいろ教えられるし、お父さんに聞いたらもう...よろこんでコンピューターの中身だって開けてみせてくれるよ。お母さんもやってもらったことあるもん。間違いない。

そこまでじゃないなってきみが言うなら、それでもいいんだ。ただお母さんはきみに、このコンピューターの国に生きているきみに、知っておいて欲しかっただけ。魔法みたいに、あるいは当たり前みたいに、きみの周りのコンピューターたちはやってほしいことをやってくれたり、ときどきは逆に、わたしたちにやらせたりする(『右の奥歯をもっと磨きましょう!』とかね)。その中にはこんな世界があること。魔法じゃない仕組みがあること。

それで、ねがわくば、知らないこわいなんだか分からない機械、じゃなくて、友だちだって思ってほしいかな。きみがわかろうとすれば、近づいてきてくれる友だち。こんなにコンピューターに囲まれているんだもの。不気味ななにかより、友だちだって思える方がずっといいよね。

ほんとうに友だちなのかって? そりゃあそうだよ。コンピューターって、人間がつくったんだよ。きみや、お母さんや、お父さんとそんなに違わないだれかが、こんなふうに動いてくれるやつがいるといいなって、そう願って、考えて、作ったんだ。虫歯のこどもをなくしたいぞ、とか。

それで、うん、これが一番大事なことなんだけど。ってことはさ。きみだって、作れるよ。何かを願って、こうしてほしいなって夢を見て、仕組みを知って考えて作る。きみが望めば、新しいかたちのコンピューターが、きみの毎日を変えるかも。それってすごく、わくわくしない?

仕組みがあるから魔法じゃないって、言ったよね。でも、願いごとを叶える力があるなら、やっぱりそれは魔法みたいだって、思うんだ。

コンピューターの国のこどもは、魔法の杖をもつことができる。

それってすごく素敵じゃない?


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ということで今年(2017年)4月発行の『ルビィのぼうけん コンピューターの国のルビィ』の翻訳をさせていただきました。前作『ルビィのぼうけん こんにちはプログラミング』もあわせてどうぞの販促でした。とても買ってほしい。https://www.amazon.co.jp/dp/4798138770

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