箱庭

「彼女の様子はどうでした」
「落ち着いています。少し不思議なほど」
「あれだけの事をしでかした人間には見えないでしょう」
「はい。ガラス越しでなければ、どこにでもいるような人に見えました。ただ……」
「ただ?」
「爪を磨いていました」
「爪を」
「ええ、爪を。話しているあいだずっと、爪磨きで爪を磨いて……」
「まあ、年頃の女性らしい、というところでしょうな」
「……彼女はそれを『蹄』と言っていました」
「ヒヅメ?牛や豚なんかの、ですか?」
「おそらくは。若干ですが、まだ錯乱しているところがあるかと」
「……蹄、ヒヅメですか。一応、報告しておきましょう」
「それと……行方のわからない『箱』についてですが」
「ああ、まだ見つかっていないようです。彼女もそれだけは吐きません」
「もしかしたら、誰かに譲ったのかもしれません」
「譲った?それは彼女と同じ異常者か、好事家か誰かに、ですか」
「ええ。あるいは……」
「あるいは」
「人ではないものに」
「……まあ、『箱』の中身が人間の見るべきものではないことは確かです。正常な人間のやることでもない」
「…………」
「少しお疲れのようですね。報告は出しておきますから、今日はもう休んでください」
「先生、爪磨きを持っていませんか。借りたいのですが」
「……いえ、持っていません」
「そうですか。では、失礼します」


××年×月×日
人間の狂気は伝染るという。あの惨劇から20数年、犯人の調査に当たっていた刑事だった彼も、そのあまりに巨大で虚ろな狂気に侵され、今もこうして同じ報告を繰り返している。
犯人の女性は20年前、獄中で不審死を遂げた。彼女の犯した罪と同じく、ここに記すにはあまりにも倫理に欠ける出来事だったが、とにかく彼の時間はそこに閉じこめられた。彼女の死から逃れるように自ら狂気にのまれた。
あれは一種の恋なのだと思う。罪を抱えたまま地獄におちていった女と、それを許せなかった男の恋。永遠に成就することはなく、賛美もなく、ただの報われない恋だ。
それにしても、彼の言う『蹄』というワードが気になる。彼の話にこの言葉が出た時、私は無難な例えとして牛や豚を挙げる。だが、『箱を誰かに譲った』『人ではないもの』という言葉の断片をつなぎ合わせてイメージする限り、そこに屹立するものはいわゆる、悪魔だ。
彼女は誰に会ったのだろうか。彼は何を見たのだろうか。
昔、箱を造る芸術家がいた。ジョゼフ・コーネル。彼は小さな箱の中に自らの世界を閉じこめた。おそらく、彼女もまた。彼もまた。
行方知れずの『箱』は、まだ見つかっていない。

H××精神病院 跡地
通称『箱庭』
主任室に残された手記より