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㋐からはじまり㋜でおわる  川崎一水

㋐からはじまり㋜でおわる         川崎一水

第一章            古事記の中のアマテラスとスサノヲ
 
㈠   ウケヒ
 死んで黄泉の国にいる母であるイザナミに会いたいといって泣きわめいていてちっとも父イザナギから委ねられた「海原を治める」という仕事をしなかったスサノヲに、イザナギは怒りついに父のもとから追い払われた。このときの母イザナミのいた場所は「根のカタスの国」であり、父イザナギのいた場所は「葦原の中つ国」であった。そして「葦原の中つ国」から追放されたスサノヲはどこに行ったのかといえば、アマテラスのいる高天原であった。追放される前に「アマテラスに訳を申し上げてから」という口実で高天原を奪おうとしていると決めつけたアマテラスは女の髪を解いて男の形に武装し、「いかなる訳にて上り来たるや」となじり問うたという。それに対しスサノヲは「父イザナギ大御神により追放されることになりお暇乞いをしようと来ただけでそのほかの異心はいささかももってはいない」と答えたという。このときのスサノヲの追放先は決まってはおらずスサノヲ自身は母イザナギのいる「根のカタスの国」に行くつもりであったらしい。その後の話では実際に「根のカタスの国」つまり出雲に天下っている。
 
 アマテラスはスサノヲのその返答に対してこうさらに問うたという。「ならばそなたの心の清く明きはいかにして知ることができようか」と。それに対してスサノヲは次のように返答したという。「ウケヒをして子を生むことにしよう」と。そう言うしか仕方のない状況に追い込まれたといわれる。それは姉アマテラスが弟スサノヲよりも強い立場であったからであるらしい。そうして高天原から下に向かったアマテラスと高天原に上に向かおうとするスサノヲは天の安の河を間に挟みウケヒを行ったという。ウケヒとは神意をうかがう行為であり、あらかじめ結果がこうなら神意はこうであると前提を定めたうえで行う一種の占いのようなものである。この場合は「生まれた子が男子であればスサノヲは正しい。」というのが前提であったらしい。ところが古事記にはその前提が書かれてはいない。そのためアマテラスは「自分の持ち物を取り男児を生んだスサノヲは正しくなく、男子は我が子であり自分が正しい。」とし、「スサノヲの物によって生まれた女子はスサノヲの子である。」とした。男子はたしかにアマテラスの物から生まれたが、スサノヲが生んだのであった。にもかかわらずこじつけてそう言ったアマテラスには悪意があったようにも見える。物がアマテラスの物であったからスサノヲが生んでも自分の子であるというのはどうかと思われる。それに対してスサノヲは「我が心は清く明るい。故に手弱女生むことができた。」と答え、自分がウケヒに勝ったと言って、アマテラスの田の畔を壊し溝を埋め、アマテラスの大嘗を召し上がる殿に糞尿をまき散らしたという。一種の八つ当たりである。
 しかし、このようなスサノヲの行状に対してアマテラスは咎めることもなく、「我が愛しき弟がこのようなふるまいをしたのは酒に喜び酔ってしたこと」などという言葉でスサノヲをかばうようなことを言った。アマテラスのこのような言葉を聞いてもスサノヲはさらにひどいことを行い、その行状はエスカレートしていったのであった。そうしてついにアマテラスはスサノヲをかばいきれず天の磐戸に隠れ引き籠ってしまったという。このような理由でアマテラスの「磐戸隠れ事件」は起ったのであった。
 
 ここまでの話でおかしいところが二、三あることに気づく。なぜウケヒの正しさの前提を定めていなかったのか。またなぜアマテラスは男児を生んだのが正しいとしスサノヲは女子を生んだのが正しいとしたのか。そしてそもそもなぜ子を生むことをウケヒにしたのか。さらにその後のアマテラスはなぜスサノヲに対して優しくなったのか。その理由には次のようなことが考えられる。ここに古事記の秘密がある。
 まず、そもそもアマテラスとスサノヲは姉弟ではなかった。なぜなら二人は二人の物で子を生んだからである。姉弟では子は生まれない。そしてアマテラスは姉であったと書かれたように先に生まれていた氏族の女王であったと考えられる。そしてスサノヲは弟と書かれたように後から生まれた氏族の男王であった。そして「根のカタスの国」に母イザナミがいるからそこに行きたいと言っていたように、のちに「根のカタスの国」に天下ることになる。「根のカタスの国」とは出雲のことである。出雲に天下ったスサノヲはそこでクシナダヒメと出会う。コシノヤマタノオロチを退治して彼女を娶りスガノ宮を立てるのである。
 そしてこれらのことを知っていた古事記の編纂者はアマテラスとスサノヲの関係を姉弟として描いた。そしてそのウケヒで生まれた子は、アマテラスの子が宗像三女神である長女タギリビメ(沖津宮姫)と次女イチキシマヒメ(中津宮姫)と三女タギツヒメ(辺津宮姫)であり、スサノヲの子が五柱の男子である長男マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ、次男アメノホヒ、三男アマツヒコネ、四男イクツヒコネ、五男クマノクスビであった。これらの男子を自分の子というアマテラスのこじつけにはその後の天皇家を正当とするための理由が見える。そして、スサノヲに対して優しくなったように見えるアマテラスはスサノヲと夫婦になったためでもあるかもしれないが、アマテラスとその後のスサノヲの氏族の関係を描いているようにも見える。これらはその歴史を知っていた古事記の編纂者の意図によるものであったと思われる。 
  
 のちに詳しく述べるが、宗像三女神は出雲の分家である宗像家のアタカタスの娘であった。「根のカタスの国」とは出雲の分家である宗像家のあるところであった。そして、高天原から「葦原の中つ国」に天下る予定だったアメオシホミミは「正勝吾勝勝速日」という武人とも見える強そうな名であったヤマトの神であるが、実際には戦いに勝つ強い神ではなく忍穂の神であった。つまり稲穂を耕作する忍耐の神であった。しかしその子ニニギは完全なる武人であった。そして父であるアメノオシホミミに代わり高天原から天下ったニニギは戦いによって「葦原の中つ国」を平定したといわれる。彼は戦いに強い神であり「天邇芸志国邇芸志蕃能邇邇芸」と呼ばれた万能の神であった。そしてさらにアメノホヒはヤマトから出雲に派遣された占領軍の長官である。その子孫は高円宮典子妃と結婚した千家国麿氏の生まれた千家家と北島家として今も存在する。
 

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