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そうだ お墓参り、行こう〜春彼岸をまえに

今朝は早起きして所用を済ませ、そのまま車を走らせて、多磨霊園まで行ってきました。あしたからのお彼岸ウィークで混雑する前に、ある人のお墓参りに行きたかったのです。

広大な公園墓地

朝9時ころの多磨霊園は、まだ人もまばらです。桜が1分も咲いていないのは残念でしたが、来週には一気に花開いて、お彼岸は賑やかになるはず。

ちょうど2年ほど前に、桜咲く多磨霊園を訪れていました。多磨霊園は、都立の8霊園のうちで最も広く、豊かな木々が計画的に配されている、日本初の公園墓地でもあります。

都立多磨霊園について、詳しくはこちら↓。

20年振りの墓参

彼女の訃報を聞いたのは、わたしが大学4年の就職活動を終えて浮かれていた矢先でした。当時はまだ、手紙のやり取りでお互いの近況を知るような感じでした。彼女は異国の地で元気にしてると思ってたから、日本で亡くなったと聞いて、驚きと戸惑いと悲しみと虚しさと……喪失感。

お葬式は近親者のみで済んでいて、お家を訪ねた記憶はあるものの、最初のお墓参りはいつ誰と行ったのだったか、正直よく覚えていません。
その後20代のころはたまに車で一人でふらりと行って、墓石に語りかけていた記憶があります。なにを話してたんだろ?
なのにいつの間にか足が遠のいて、その場所も忘れてしまっていたのでした。だから2年前にここに来ても、訪ねることができなかったのです。

先日片付けをしていたら、大学時代に使っていたアドレス帳を発見しました。みんなが携帯なんて持たなかった時代には、命綱みたいなものですね。

彼女の名前の住所欄には、墓地の所在が書き足してありました。見つけたからには、近況報告をしに行こうと決めました。

案内板をチェックして、まずは墓所のある区画を目指します。やっぱり車じゃないと躊躇してしまう距離です。その区画近くで車を停めると、なんとなく場所を思い出して、すぐに見つけることができました。

きっと20年振りくらいに……高校時代の、唯一無二の、彼女のお墓参りをすることができました。墓誌には、当時と変わらず21才と刻まれていましたが、その後に5人のお名前が増えてて、お墓のなかは寂しくなさそうで、なんだかほっとしました。
勝手ながら、自分的な節目のタイミングでの近況報告でした。

岡本太郎の墓

お墓参りを終えてもまだ午前の早い時間。そうだ、岡本太郎の墓へ行こう! と思いたち、スマホで墓所を調べてみると、なんとすぐ隣の区画でした。
そのまま徒歩で探した先に、すぐに見つかりました。

16区1種17側3番

写真でよくみていた、このお墓が拝みたかったのです。
向かいにある、父・一平、母・かの子の墓を眺めているかたちです。

中央には川端康成による碑文が刻まれています。

古い家制度がこわれ、人々が家での生きように惑っている今日、岡本一家の記録は殊に尊い。この大肯定の泉は世を温めるであろう。
川端康成「母の手紙」序より

ここで書かれている「今日」は、いまも大きく頷けるものです。

「芸術は、爆発だ!」を当時リアルタイムで見てもなんのこっちゃ? だった世代でも、のちに「自分の中に毒を持て」を読んで感銘を受けることになりました。思えば友人にすすめられて一度目に読んだのも、20代のころでした。岡本太郎先生から、あらためて教えを請いたい気持ちです。

多磨霊園がすごい

そして、前回見られなかった合同埋蔵施設「みたま堂」も見学。

中央には水が流れるモニュメント

多磨霊園、さすがです。
壁の裏側が納骨できるロッカーになっており、ここに30年間納骨することができます。預けたら直接開けることはできませんが、静謐な空間が保たれているんですね。毎年の空き区画の募集はあるものの、抽選倍率は非常に高いです。

そして、案内所では、著名人のお墓めぐりマップももらうことができますよ。

画家編、教育者編、エンターテイメント編

…と、おはかんり的ネタになってきたので、ここまでにして。

あしたから、春分の日をはさんでの春彼岸ウィークがはじまります。お墓参りとお花見を兼ねてもよし、会いたい人に会いに行ってみませんか?

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