仕事において、「遠慮・甘さ」は自分を苦しめる

最近、仕事を進める上で同じような学びを何度か得たからメモとして残しておく。

まず、遠慮は本当に意味がない。
意味がないどころか、害さえある。

新しくオープンした施設の集客が振るわず、
テコ入れを手伝い、その過程で自分がそこの写真を撮ることになっていた。

「あそこに敷いてある絨毯、ちょっとダサいというか、写真で見ると汚れに見えるなぁ」

と思っていたけれど、
そこをメインで仕切っている人が、いいと思って選んだのだろうし、
自分もインテリアのセンスがあるわけじゃないから、まぁいいか。
と思い、やり過ごしてしまった。

そしたら、全て撮り終えて、いざ帰るとなった時にその人が、
「あー、これ変えればよかった!」
と言い出したのだ。

「え?!」
と叫んでしまった。
「あなたが選んだ、自信の一品ではないのですか?!」

全然違うと。もうやめてしまった人が、もともとデザイン系の仕事だったのでセンスあるだろうと任せていたところ、そうでもなくて、
実はずっと変えようか気になっていた、と。


遠慮は無価値だ。
遠慮しないことで、時にはハレーションを生むかもしれないけれど、
いい仕事をしたいなら、「ノンハレーションで妥協」よりも「ハレーションがあっても意見交換」だ。


続いて、甘さだ。
最近あったことで言うと、人の言うことをちゃんと聞きすぎるのはよくない。

例えば、
クライアントからの依頼でスケジュールが合わなかった仕事仲間に対して、
合わせられないなら、きっぱりと「では、あなたの優先順位としては低いのだし、今回はダメですね」と言ってしまえばいいところを、
「いつならいいの?」
とクライアントに調整をさせてしまった。

当然、調整すること自体はいいのだけど、
タイミングや立場(売れっ子なのか、友達感覚なのか)を考えると、
依頼された側が合わせる一択の時がある。

それなのに、自分の甘さが出てしまい、調整をお願いすることで、
結局自分のスケジュール調整が難しくなってしまいかけた。

甘さは自分を苦しめる。



結局、全ては優先順位だ。
自分の中での優先順位はなんなのか?
人間関係か?クオリティか?
クライアントと仕事仲間の優先順位はどうなってるか?
イベントの成功なのか?別の仕事なのか?


それを自分の中でちゃんと持っていれば、
遠慮も甘さも捨てられるし、
もしかしたら、うまく使えるのかもしれない。


とにかく、いい仕事をしたい。
それが誰とどんな仕事であれ。


苛立ったこともあるけれど、何よりも勉強になったのがよかった。
全ての経験は勉強。

読んでみて少しでも「いいな」とか「会ってみたいな」と思ったらぜひ会いに来てください!!