自分はこんな人格者でいられるだろうか

池袋暴走死傷事故の判決が出た。


そのニュースが昨日流れてきて、見出しは「禁錮5年」というものが目立った。

この事故は、世間の大きな関心を集めていて、もはや関心というよりも「憎しみ」がものすごく集まっている。


僕ですら、「このじいさんはダメだ」と思ったりする。


なぜ、無関係な僕が「このじいさんはダメだ」と思うのかというと、「自分がしたことの重大さと罪を、頑なに認めようとしていない」と感じるからだ。


この事故を機によく耳にするようになった「上級国民」とかは、どうでもいいと思っていて、とにかくこの一点に尽きる。


ただ、この判決が出た直後のご遺族の会見を見て、自分という人間がいかに出来ていないかを思い知らされたし、ご遺族の想いに涙が出た。


「もうこれで終わりにしたい。人と争っている姿は、妻や娘が愛してくれた自分ではないから」

以前、ご本人が書いたブログにも同様のことが書かれてある。

一審の判決が出たら、もう辞めにしませんか。
こんな何も生み出さない無益な争い、もう辞めませんか。

妻が私に教えてくれた、他者に対する愛を、私に残された人生で実践していきたいのです。
そして、妻と娘が愛してくれたままの自分らしくありたいのです。

そのために、私はあなたと争い続けるためにエネルギーをこれ以上使いたくないのです。
そんな事より、交通事故をひとつでも無くすための活動に全力を注ぎたいのです。

私にこの先何年も、人を恨み続ける道を歩ませないで欲しい。2人の愛してくれた、私らしい私でいさせて欲しいのです。


さらには、昨日の判決を受けて書いたブログにも、警察や検察の方たちへの感謝がある。


自分がもし、このご遺族の立場だったらどうだろうか。

多分、こんなに真っ当ではいられない気がする。

せめて、早い段階で罪を認め、裁判でも納得のいく判決が出ていればまだしも、認めることも、判決も出ない中(控訴になれば最終的には5年くらいかかるとのこと)、これだけ自分の伝えたいことはしっかり伝えた上で、冷静でいられるのは本当にすごいことだと思う。


このご遺族の方の高潔さに比べて、ツイッターでは醜さが溢れている。

このツイートにぶら下がっているコメントの数々を見て、他者の罪の大小を声高に叫ぶこと人たちの愚かさに恐れおののく。
罪人であれば、無関係な人でも誰しもが裁いていいという考えなのだろう。


正直、自分もこの中の1人になっていてもおかしくないと思うので、本当に気をつけて生きていかないとと思う。

聖人である必要はない。けれど、人としての高潔さは保っていたい。

ご遺族の心情は、僕にはどうしたって察しようがないので、せめて、自分が加害者にならないやうに、こういう大衆の1人にはならないように気をつけていこうと思う。


読んでみて少しでも「いいな」とか「会ってみたいな」と思ったらぜひ会いに来てください!!