9330

この数字はなんでしょうか。

2019年10月14日、私は自宅でゆっくりと過ごしていました。それまで追われていたタスクを処理し終え、長くなった髪を切る予約をし、穏やかな1日でした。Twitterのトレンドに、「sulli」の文字が見え、何気なく、いつものように、タップするまでは。

そこから広がった情報は、上手く呑み込めず、穏やかだった私の1日は掻き乱されました。


「ソルリ、遺体で発見される」


9330は、彼女がこの世界に生きていた日数です。(暫定)

あまりにも呆気ないと感じます。この年、私はSMTへ参加し、3人体制のf(x)を見て友人に驚かれるほど泣いていました。そして迎えた10周年、メンバーの契約終了、複雑な思いを抱え泣いていました。泣いてばかりの夏から、絶望の秋に変わりました。

私がソルリをずっと応援していたのかというとそうではなくて、心配になる行動や、問題視される行動に疑問を感じることも少なくありませんでした。それでも、いつか会いたいと思っていた、何かの形でファンとして会えたらいいと思っていました。でも、ジンリマーケットにも、ソロで曲を出した時も、行けませんでした。

私が彼女に逢いに行ったのは、彼女がこの世を去ってからでした。

前日、近くのコンビニでひたすら彼女の写真をプリントして握りしめ、彼女の元へ向かいました。迷子になりながら、親切な方々に道を教えて頂き、お昼頃に弔問の場を訪れました。入ってすぐ、モニターに亡くなった方々らしき写真が映ってました。高齢の方々が並ぶ中、若い女性が目に飛び込み、泣きそうなのを堪えました。

彼女の弔問の場を見ると、堪えきれませんでした。入る前から溢れ出る涙に、事実という認識に、ただ混乱しました。実際そこに彼女の遺体があるわけじゃないのに、受け入れられるなんて出来ないのに、ただ飾られた写真を見てソルリが「死んだ」ということを事実として認識せざるを得なかったのです。韓国語のわからない私は作法なども全くわかっておらず、そのことを考える余裕さえないことにその場に来て初めて気づきました。

過去という現在の私を成り立たせて来た事にいつも「後悔」が耐えません。


5人がえぷとしてデビューしたことは奇跡であり必然でした。
そして5人にはそれぞれの人生があり行きたい道がありました。ただそれだけでした。誰にも自分の道を止める権利なんてありません。私たちはそれを知っているはずです。ソルリが脱退したことはとても悲しいことでしたが、それも彼女の行くべき道でした。ないしはそうせざるを得ないほど彼女への批判は強かったのでしょうか。(私は後者が強いと思っています)
えぷはきっと、「お互いの行きたい道を行き、その先でえぷとしてひとつのままでいる」という選択を持っていました。お互いを尊重していたのではないかと強く思います。10周年を経て彼女達はえぷの名を捨てることなく事務所を旅立ちました。事実上の解散。空白の1000日以上さえ彼女達を愛していたファンはこれからもきっと彼女達を愛するでしょう。私もそのうちの1人でありたい。

その先へ飛び込んできたのは脱退したソルリの死でした。えぷを脱退して新しく生まれ変わった彼女は韓国で唯一のフェミニストとして強く純粋に生きようとしていました。脱退したにもかかわらず彼女に対しての批判は絶えませんでした。私たち世間が彼女を脱退させたのに、それだけでは飽き足らず彼女を死へ追い詰めました。更にえぷのメンバーまで攻撃し始めました。自由に生きた彼女はきっとずっと孤独でした。
彼女が10周年で自死したのは、えぷのメンバーが好きで、事務所を旅立ったのが寂しかったのだろうかと勝手に解釈してしまいます。ただ、真意はジンリにしかわかりません。そして彼女はもう存在しません。

私はいつも後悔しています。
人は、芸能人である前に1人の「人間」であることを私達は忘れがちであると思います。「こうであってほしい」「こうでなければならない」という理想を勝手に押し付けて、その型にはまらなければ勝手に落胆し、罵る。きっと私もそのうちの1人でした。前述の通り、彼女の行動に対して必ずしも良いと思えなかったことがあったのです。1個人の全てを理解できる人なんていません。それでも、「そうなんだ」と寛容になることはできませんか。


SNSを通してファンと芸能人の距離が近くなったことは明白であり、とても有難いことであると同時に、「匿名」として殺人鬼になりかねないことに私たち世間は気づいているのでしょうか。この1件を通して気づいたのでしょうか。遅くはありませんか。私は世間への怒りとともに自分もそのうちの1人であるということが耐え難い後悔として自分を蝕んだままです。何度も彼女の後を追うことを考え、行動しては途中でやめました。彼女の死を受け止めるにはまだ時間が足りません。受け止めるまでに生きていけるのかどうかも、わかりません。

5人が再集結したのはソルリが、チェ・ジンリという個人が亡くなってからでした。その前に再集結したのは先輩グループの1人の死なのではないでしょうか。(5人で行動していたわけではないでしょうが)誰かの不幸の時にしか彼女達は揃うことができなかったのはどうしてなんだろう。
ソルリじゃなくていい。ジンリとして生きて欲しかった。でも、ジンリとして生きた彼女は殺されました。

誰にも人を殺す権利なんてありません。言論の自由はあれど、それが刃となって人を蝕んではならないはずです。ジンリの死は意味のあるものとして今韓国で芸能人を守る動きが出ています。この世界から去っても彼女の影響力の強さを誇りに思うと同時に、遅すぎた動きに、こうならざるを得なかった事実に私は後悔をしています。

どうか、思考してほしい。
「芸能人だから」殺されていい理由なんてないことを。言葉という見えない刃で傷をつけてはいけないことを。彼女達もたった1人の人間として尊重されなければならないことを。

そしてどうか、ジンリを傷つけないで、殺さないで、忘れないで。

私は今日も彼女に「逢いたい」とメッセージを送ります。返事はずっと来ないまま。