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音痴だけど歌が好き

こんにちは〜!音痴です!

小さい頃、母とお風呂に入りながらよく一緒に歌った。母はピアノを長年習っていたので音感が良かった。その母が「ほんまに音痴やな」と言っていた記憶があるので、私は生まれつきの音痴なのだと思う。(母は特に矯正させずにのびのび歌わせてくれた)

小学校に入って、音痴ながらに歌うことが好きだったので、音楽の時間にいつもニコニコしていたらしい。それを見ていた音楽の先生が、廊下ですれ違う度に合唱部に誘ってくれるようになった。

私は普通に歌が上手いから誘われるんだと思い喜んで合唱部に入った。しかし声がめちゃくちゃ低いので常にアルトパートだった。

本当に苦戦した。アルトパートの音程は音痴の私にとって難しすぎた。声が揃っていない時、必ず1人ずつ順番に歌わされて音程のずれをみんなの前で指摘され、必死に直した。そんなことを何十回と繰り返してようやく音が取れるようになった。そこまで苦労しているのに、アルトパートはソプラノより目立たない立ち位置なので小学生の私は「期待されてないんだ……」と思い込んで毎日部活終わりに泣いていた。なぜかストレス解消の手段が目玉焼きを作ることで、毎日泣きながらしょっぱい目玉焼きを食べた。

ただとにかく声が太いのでアルトパートの声がほぼ私になるくらい目立っていた。それは合唱においては別にいいことではなかった。目立ちすぎてNHKコンクールのテレビ放送で誰よりも長い時間アップで抜かれていた。恥ずかしくて死ぬかと思った。

それなりにガチの合唱部だったので、平日は16:30から19:00まで、土日と長期休みは9:00から16:00まで練習だった。ブラック部活だ……。ただ、歌う練習は難しくてつらいのに、歌っている瞬間はすごく楽しかった。小学生の感情はなにかしらで発散させないと爆発するくらいに過多で、歌をやっていなかったら精神崩壊していたと思う。そのくらい、歌に心を込めていた。

そんなわけで多少音痴は改善された。そうすると歌うことはもっと楽しくなった。今思うとものすごく危ないのだが、12歳〜18歳くらいまで、なにか悲しいことがあると1人で海に行って大声で歌っていた。いつも誰もいない砂浜を知っていて、そこでしか泣いたり歌ったりできなかった。

自分の歌が別にうまくないことを知っていたので、中学高校と、人前で歌ったりとかはしなかった。でも、大学生になってから人生が意外と短いことに気づいて、やりたいことをやらなければと思った。それで軽音サークルに入って、また人前で歌い始めた。

社会人になってからはバーやカフェを貸し切ってアコースティックでライブを続けた。正直自分が歌った音源などを聴くと今もウッ……となるくらい本当に全然うまくないが、ただ楽しくてたまらなくて続けてきた。

歌についてはそれでお金を稼ごうとかまったく思わない。ただ好きでやっている。
私の人生に歌があって良かった。なにしろ音楽に果ては無い。上手くなりたければ無限に練習して無限に上手くなれる。

ただ自分が楽しくて、熱くなれることがずっとあってほしい。下手だけど、胸を張って言える。

私は歌が最高に好きだ。

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