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じいちゃんばあちゃんの思い出

私の実家は種子島。

子供の頃
月に数回、車で30分ほどの山の中にある
『ばあちゃんち』に遊びに行っていた。
じいちゃんもいるけど
『ばあちゃんち』と言っていた。

私の実家は種子島の中でも割と賑やかな所で、
ばあちゃんちは、種子島の中でも超田舎。

じいちゃんは佐官職人。
時々は海に潜って魚介類を獲ったり、
船で魚釣りに出たり
農作物も作っていて、性格は厳しい人だった。

まだ5歳くらいの時、姉ちゃんと私と
ばあちゃんちに泊まった時、悪ふざけをして怒られた。
姉ちゃんとわたしは、怒られたのが嫌でバスに乗って帰ろうと、こっそり夜抜け出して真っ暗なバス停に行った。

私達がいないことに気付いて探し回ったようで
すぐに見つかった。
後から聞いた話、じいちゃんはなんであんなに怒ってしまったのかと後悔していたよう。

私達が悪かったのだから仕方ないし、夜中に抜け出すなんて、さすが姉ちゃんの考えつく事だ←笑
(わたしはきっと連れて行かれたんだと思ってるので…笑)

でもそのくらい厳しかった。

ばあちゃんは優しくて優しくて
優しすぎる人だった。
あとは、笑いだすと息ができなくなるくらい笑って
涙をポロポロ流しながら大笑いする人。
お花が大好きで、庭には綺麗なお花がいっぱい!
私達が遊びに来ると、次々に食べ物がテーブルに並らぶ。
かまぼこ、黒砂糖、スイカ、とうもろこし、ガボチャ餅、煮付け、アイス、ジュース、お菓子、漬物、
煮た落花生…もう食べれない。
そこから、夜ご飯を食べて帰る事も。

蘇るあの笑顔。
『ゆみちゃんは優しいね!1番優しいね!』
そう言ってくれたあの時のばあちゃんの顔と声と、
嬉しかった気持ちは今でも宝物。

ある日ばあちゃんちに行って、
玄関の扉を開けたら
目がチカチカするほど派手派手な
フワフワなハイビスカス柄のワンピースを着ている
ばあちゃん現る。

私の母が一言
『なんちゅー服?』
ばあちゃんはとにかく満足そうだし幸せそうだった。

小学生だったわたしは
はっきり言って引いていた。
それはないやろ!って思ってた。笑笑笑

でもなんでか、あの時のなんとも言えない笑顔のばあちゃんは思い出す顔上位にランクインしている。

私も種子島を出たし、
じいちゃんばあちゃんも今は亡くなって居ない。

じいちゃんは、ばあちゃんより長生きした。
残されたじいちゃんにはひ孫となる長男を抱っこしてもらう事ができた。

私達が怒られた時の厳しかったじいちゃんではなかった。
起きあがり拳のおもちゃでひ孫と遊ぶ姿はまるで別人のようだった。

2人目のひ孫が私のお腹の中にいる頃に
じいちゃんは亡くなった。
ばあちゃんが居なくなって、
すごくすごく寂しそうだったので
やっとばあちゃんのところに行けたんだなと
少し安心した気持ちもあった。

今、ばあちゃんちは壊されて無い。
でも、帰省すると
『ばあちゃんち』に行く。
その場所に行くと、完全に幼い頃にタイムスリップできる。

今でもずっと心の支え。自慢の存在。

黒砂糖見て思い出したので記録。
帰省したくなったなー。




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