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震災12年目。NHK記者を辞めて1人で自由なメディアを立ち上げた

2022年人生が変わった

「災害で1人も死なない世界を作りたい」と声高らかに語ったのは、5年前。
僕はNHKに入局してすぐ、同期や上司、先輩と誰某構わず豪語して回った。
殆ど鼻で笑われたが、本当にできると信じていたのだ。
結論を言うと、実は今も信じている。
でもその夢はNHKでは達成できないと悟った。

以前も記事で書いたが、僕はNHKの職員に惚れて内定を受け入れた。
「ああこんなに正義感の強い大人がいるんだ」
そんなふうに思った。

就活の面接というのは詐欺のようなものだと言う。だけどそれは就活に失敗したり、仕事が思うようにいかない人間の言い訳だと思う。
僕は詐欺にあったのではなく、自分でバイアスをかけた。
普通に考えればわかることで、この世にスーパーマンやキャプテンアメリカのような聖人は存在しない。
ましてやサラリーマンなんて自分の立場が一番大事に決まってる。

自分の使命感を失いかけた


NHK時代最後の仕事は、熱海市の土石流災害だ
記憶にある方もいると思う。
違法な盛り土が崩れて民家を一撃で吹き飛ばした。
僕は当時、ちょうど熱海担当の記者だった。
NHK唯一の熱海担当。そして現場に入った一番最初の記者。
「災害取材をやりたい」そう言い続けて、自分の担当任期に大規模な災害が起きるとは、何か運命的なものを感じた。


この記事でも書いた通り、僕は土石流災害より前からNHKを辞めようと考えていた。
だから、もしも超自然的な何かが、人々に運命や人生選択を与えてるのだとしたら、『この災害によって「やめるか」「残るか」決めろ。』そのように啓示を受けたのだと感じた。

だけど、現実はあまりにも非情だった。目にしたのはネタの取り合い、食い合い。つまり被災者遺族を誰よりも早く懐柔し、テレビカメラの前で涙を流してもらう。これをみんなで競い合うのだ。
花束に嘘を込めて、手紙に嘘を込めて、渡すのだ。
土石流発生直後、自分はこの取材をライフワークにする。絶対に逃げない。そう誓ったのは本当だ。上司にも、自分を異動させないでくれと直談判して認められた。
だが正直に言う。ものの1ヶ月で心が折れてしまった。
同僚を責めたいのではない。実際僕もその悪行に加担した。被災者の痛みを一番分かっているはずの僕がだ。

結局一年は全うした。
もちろん被災者やご遺族と深い関係を築く努力をした。でもその努力は、番組のネタにしないと意味がない。会社員だから。だから、築いた関係をネタにしないために、上司への報告を辞めて、たくさんの取材を無かったことにした。

ある意味で、僕はNHKにいる資格がないと確信できた。

サラリーマンジャーナリズム

思えば僕が物心ついた時代はマスコミの信頼は地に落ちていた。マスゴミという造語はすでに存在していて、就活でも早慶東大からは超人気の無い就職先だった。
マスコミに足りないのは思いやり、常識。そんな当たり前の空気の中にあっても、組織の中を覗けば、自分を消し、他者を思う、そんな他人のために力を尽くす記者は出世コースから外され、埋もれていた。

だけど出世コースを外れない人外な記者たちは理想を語る。
その口から語られる理想は、まさに真のジャーナリズムそのものだ。
「民主主義を守る。」「被災者に寄り添う。」「俺たちの組織は間違ってる。」
思ってるなら行動しろよ!自分の組織壊そうぜ!
そんな悶々とした思いを積み重ねるしか無かった。
全くもって口先だけ。だけど残念ながら僕も例に漏れず、イエスマン。出世コースから外れる戦いなんてできなかった。
我慢すれば20年後に少し経営に口を出せる時が来るかもしれない。そうも考えたが、時代も自分も、変わってしまっているだろうなとも思った。

僕はサイコパスだ。被災者に仏壇や被災地に向けて拝んでもらったこともある。
もちろん「手を合わせてください!」なんてど直球には言えなかった。
もっと遠回しに、お願いした。
涙を流したり、声を詰まらせたり。
そういう場面が必要だと思っていた。
取材前には、そういう御涙頂戴のシーンを台本に書き込んだ。

記者は感情を殺すべきか。出すべきか。
賛否両論がある。
だけど当然ながら、いくら公正公平中立を記者個人が追求しようとも、取材には絶対その取材者の思想や知識が反映される。
これは不可抗力だ。
厄介なのは、そこにNHKとか、朝日新聞とか、色の付いたパッケージが被さるから、記者個人の思想が隠される。
だから嘘っぱちなのだ。全てが。
みんなの欲望でドロドロに腐ったものか、中身が無いものしかない。

キャリアの話をすれば、僕はわがままで我慢弱いと言えばそうかもしれない。

でもジャーナリズムってサラリーマンだから仕方ないと言っていいのもなのか。腐ってもサラリーマン、ではなくて、腐ってもジャーナリストだろ。
小さくまとまってなるものか。

だから僕は自分でメディアを立ち上げた

メディアを立ち上げたと言っても、いま仲間はほぼいない。
フリージャーナリストが防弾チョッキとして組織の体裁を保っているだけだ。
だけどこれが案外面白い。
自分がマスコミの中にいて、おかしいと思ってきたこと、間違ってると思ってきたこと。それらを発信すると予想していたより早く良い反響が出た

金のためでも、出世のためでもない。
誰とも競争しない。誰の指図も受けない。

確かに、小僧が現実逃避してるだけと言われれば否定できない。
だけどあえて言う。現実逃避で何が悪い。
その「現実」ってなんだ?
はっきり言って、今が一番現実に切り込んでいる実感がある。
社会の闇をたくさん聞いた。NHKというゆとり教育では報道することは愚か、情報の一端に触れることすらできなかったことだ。

これからの僕のスタンスはこうだ。

自分の取材をとことん貫く。
そして外からマスコミの常識を覆す!

そして震災12年の節目に、僕は誓う。
「風化させない」

あと最後に一言。仲間を募集してます!
ご支援よろしくお願い致します

発足半年間の取材成果

気仙沼大島の連絡船「ひまわり」

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