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3/20「遊び場的ワークショップ集」レポート

2022年3月20日、Twitterで案内を見かけて知った〈松井周の標本室〉 『遊び場的ワークショップ集』標本空間vol.2に参加しました。

私が参加したのは、「『「私はトランスです」=???』の創作過程を標本する・WS」「幻の演劇をつくろう!」の2つです。


「『「私はトランスです」=???』の創作過程を標本する・WS」は、和田華子さんがカムアウトしたときに返ってきた様々な反応を再現するという企画。

自分の身体から他者の価値観(それは時に誤っている)を発することは、演劇行為として当たり前なのですが、そのズレを強く意識することで自分の思考を見つめ直すことができた気がします。

私はアライのつもりではあるけれど、自分でそうであると言う勇気はなく、あまり自分からそうだとは言いません。

本当に理解できているのか?自分がそのつもりではなくても配慮を欠いた言動をしている可能性はないか?という問いに自信を持ってイエスと答えることは出来ないからです。

WSを経ても、その感覚に変わりはありませんが、もっとフラットにジェンダーを捉える人が増えればいいなと思いますし、自分もセンシティブになりすぎずに個人を尊重する姿勢は常に持っていたいなと思いました。


松井周さんの「幻の演劇をつくろう!」は、高齢者の安楽死が推進される世界での会議が舞台。安楽死の対象になれば豪華特典を獲得することができるため、みな自分が対象になるように他者を言いくるめようとします。その様は一見ユーモラス。しかし、やはり生死を扱うテーマなので、時々その思考の危うさが身にひりつくこともありました。

ランダムにあてがわれる職業=社会的な役割と、他者が決めた「自分の死のテーマ」がシャッフルされて自分の元に来る。そして、その人物像を考えて、安楽死が出来る人と出来ない人を選別する。

それは自分の意思でコントロールできない何かをそれぞれに持っているという現実を知ることでもあるし、職業という限られた情報で命を選別するという残酷さに加担してしまうということでもあります。

さっきまで笑えていたことが、よく考えると背筋が凍り付くようなことだった、ということを体験しました。



WSって、色々な人が色々なアプローチでやっていますが、普通に過ごしていれば感じることはないかもしれない身体と精神の感覚を発見できることが醍醐味だと思っています。

自分は何を大切にしているのか、自分はいったい何者なのかということは、絶対的なようで意外と相対的に見た方が腑に落ちることもある。

そんなことを考えさせられたWS集でした。参加できて良かった。

演劇が好きです。観て、考えて、書いて、読んでもらう。演劇はその場で消えてなくなってしまうけど、私たちが何度も思い出すことで永遠になるなんて、素敵だと思いませんか。 いただいたサポートは、演劇ソムリエとして生きて行くために使わせていただきます。