見出し画像

己のレベルを知る方法

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)。燕とか雀のように低いところを飛んでいる鳥には鴻鵠のように高いところを飛んでいる鳥の見るものは見えない。ざっくり言えばレベルが低い者にレベルの高いものの見ているものは見えない。という感じの言葉。

自分よりもレベルより低いか近いものは分かる。

なんの種目でも良いのだが、経験者の立場で初心者を見るとどの程度のレベルであるか一目瞭然にわかる。自分との差がけっこう正確に分かるので成長著しい新人さんに大変な脅威を感じる。並ばれたのも追い越されたのも分かる。つまり自分のレベルは自分が正確に見積もれる相手を基準にすれば割り出せる。

お互いに気になる相手はレベルが近い

なんだか気になるあいつ・・・。あいつも私を意識している・・・・。それはお互いのレベルが近いから。自分の気になる相手が「レベルの低いやつばっかりだ!」とか、「レベルの低いのにばっかり絡まれる」とかいう場合は意識的にそいつらから意識を外して自分はもっとレベルの高い層を意識するようにしたい。目標とする層が自分を意識してくれるようになったときにはおそらくかつて「レベルの低いやつら」と思っていた連中(未熟な過去の自分も含む)はいつの間にかもういない。

「足元に及ぶ」とは。

「レベルが違いすぎて足元にも及ばない」という感想を本気で持つなら、相手と格段の差があるということ。「足元には及んだがまだ届かない」という感想であればだいぶ近づいた。「あとこれくらい差がある!」まで見えれば射程距離。周りを見渡して目標とする人物と己の間に誰もいないと正確に見積もれるようなら思い込みではなくもう手が届くところまで目標に迫っている。

天才と凡人

ある程度レベルが高くなると「限界」が見えてくる。自分がどうやっても越えられない壁に気づいてしまう。周囲から見ればかなりの上級者だとしても本人には壁が見えていることが多いだろう。天才とは鍛え上げた凡人が越えられない壁の向こう側に最初からいる。熟練するほど壁がはっきり見えている。名人がたった一度、初心者と勝負しただけで引退を考えることがあるのも分かる話で、壁の向こう側にいける相手には手の出しようがないのだ。

人の能力は無限大

人間だれしもどこに才能があるかは分からない。発揮する機会に恵まれなければ開花することなく枯れてしまう。いろいろとチャレンジしてみる目を養うことで、自分の才能に気づくこともできるだろう。知らないだけで自分は多くの人が壁と感じるところの向こう側にいるかもしれない。天才は壁の意識もなく超えているので無邪気に努力家を傷つけるものだ。努力家と天才とどっちの立場も味わいたいものだ。色んな事に興味を持って挑んでみたい。お菓子の空き箱で工作する人とか、歌声が素晴らしい素人とか今の時代は発表の場に恵まれている。

お気持ちありがたくお受けいたします。価値ある投稿でお返しできますよう精進致します。