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学校に行かないということ

 コロナによる自主休校や不登校ユーチューバゆたぼんで学校に行かないという選択肢が注目されています。
 しかし、この「学校に行かない」という言葉、それが何を表してるのか曖昧なのです。コロナによる自主休校という現象はそれを明らかにしています。
 コロナで学校に行かないという選択をした児童生徒は物理的に学校に行かないという選択をしたわけですが、全く学校というものから離れる選択をしたわけではありません。学校に行かなくても学校のプログラムには参加し単位を取るという意思がある子が大半でしょう。もしコロナが長引けば全く学校に行かないまま卒業してしまうが、単位は取りたいということになります。
 学校には行かないが、学校の勉強は(それなりに)して卒業して次のステージに行きたい。これはコロナによる休校や自主的な欠席に限らず、実は多くの子ども達にありえる選択肢なのです。


 学校に行かないというのはそれだけなのか。そうとは限りません。不登校YouTuberのゆたぼんは中学に行かない宣言をしてますが、高校等の次の進路についても何も話していません。3年後にどこかのサポート校(不登校の子向けのオルタナティブな高校)に行く可能性はあると思いますが、とりあえず学校との距離は物理的なものだけでないようです。

 もちろん学校という存在から離れて生きることは悪いことではありません。板前や相撲取りなんかは一昔前は中卒が当たり前の世界でした。学校というものから距離を取って生きていくことは決して珍しいものではありません。


 世の中にはけっこう例え単位が取れたとしても、高校や大学に行けたり仕事に就けたとしてもちゃんと学校に毎日通うんだと強く思っている層もけっこういます。勉強というより学校という社会の場で過ごすことが大事という考え。学校でしか身につかないことがある!という意見ですね。その是非はさておき、こういう人たちにとって「学校に行かない」ということは物理的に学校に行かないということになります。
 しかし、「学校に行かない」が勉強はして次の学校を目指すという形もあります。今、こういう人たちは決して少なくありません。そして、それとは別に現在の学校教育とは距離を置く「学校に行かない」もあります。今までは学校に行くことが当たり前だったので二つの「学校に行かない」の違いが意識されることはありませんでしたが、ゆたぼんやコロナ禍によって二つの「学校に行かない」を混合しないことの大事さが増したように思われます。

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