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寄生虫ぶるぶる

不安はいつも、肩から襲ってくる。肩の内側を這う動脈から溢れ出て、肩甲骨と鎖骨の方へと滲み、その後じんわりと上半身、下半身へと広がっていく、それが不安という感覚だと思う。体のどこで作られているのかその起源ははっきりしないけれど、どこかでジュワジュワっと精製された不安は動脈の中を血液と一緒に流れ、なぜかいつも肩のあたりで排出されているように思う。そんな気がする。なんでなんだろう。なんで肩なんだろう。高校の頃、野球の送球が上手くできなくなってしまった時の名残なんだろうか。たしかにあの時、ボールを握っただけで僕の身体は緊張と不安で小さく震えていた。その強烈な不安は肩から流出して手先へと一気に伝染し、そうして僕の手を離れたボールはいつも気持ち良いぐらいヘンテコな方向へと飛んでいくのだった。その時の不安の流出経路がまだ塞がっていないのだと思う。

満足感は上昇気流に変換される。美味しいものを食べた時、人から好意を受けた時、その満足感は心臓をほのかに温め、その熱によって温められた心臓付近の空気が対流によってじんわりと上昇に転じるその、上昇気流。満足感という感覚は曖昧でなかなか実感を得づらいものだけれど、この上昇気流は割と簡単に感じることができる。心臓の付近に本当に空気があるのかはよく知らない。

目の前のことに注力しているうちにいつの間にか体力の限界をオーバーして、突然ダウンしてしまうことがよくある。自分の身体感覚というものにすこぶる疎いんだと思う。
すこぶるって可愛い響き。すこぶるぶる!!ぶるぶるぶるぶる!!ぶるるうるㇽうババロアァ!!ババロアぶるぶる!!
幼稚園の頃に親戚みんなでグアムに行った時も、初日の夜にホテルで見つけた巨大なブランコに延々と乗り続け、翌日の朝に熱を出してダウンした。それ以降は、母ちゃんが握ったおにぎりをオエオエ泣きながら口に入れていた記憶しかない。結局ずっと看病させられるハメになった母ちゃんにはすこぶる申し訳ないと思っている。ぶるぶるソーリー。

悲しみは心臓をやわらかくする。親に怒られた時、友だちに冷たい言葉をかけられた時、体のどこかで精製された悲しみは一旦血液に溶け込み、全身を回った後に心臓へと送られる。そしてその悲しみは心臓の表面と化学反応を起こし、細胞組織を崩す。そうして心臓の一部が少しやわらかくなる。すると、心臓付近に住んでいる寄生虫がむくっと目覚めてそのやわらかくなった部分をむしゃむしゃと食べ始める。だから、悲しい時僕の心臓は徐々にえぐられていく感覚がする。物心ついた時からこの身体感覚は常にあって、だから随分小さい頃から僕の心臓はえぐられ続けている。えぐられる感覚はあっても、えぐられた部分が再生する感覚は無いので、多分僕の心臓は少しずつ小さくなっていってるんだと思う。そして、ちょうど僕の心臓が食い尽くされた時、その寄生虫は晴れて僕の身体を完全に乗っ取ることに成功し、僕を思いのままに操り始めるんだと思う。今のところ、僕は自分の意思でこの文章を書いていると思うので大丈夫だと思うが、もし僕が突然わけのわからないことをすこぶる言い始めたらぶるぶる多分その時はぶるぶる!!!その寄生虫に完全に乗っ取られてしまったぶる!!!すこぶるぶるぶる!!!ぶる!!!ということだと思うので、そっとしておいてぶるさい!本当に僕のぶるぶる!!心臓にそんな寄生虫が住んでいるのかはよく知らぶるぶる!!ない。すこぶる知らない。ぶるぶる!!!

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