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私たちは「つながって」いた

私たちは「つながって」いた。

小さなウイルスが、つないでいた手を離させた。

今は、「つながって」いた「手」を離さないと大変なことになる。

こんなにつなげていたのかと驚くぐらいに「つながり」があった。

見えない「つながり」をまざまざと実感する。

つながりは、

透明で薄く細く、

極彩色で濃く太く、

強烈な存在感があったり、見えづらくてまるで無いように感じたりする。


リアルなつながり。バーチャルなつながり。

私たちは「つながり」のない世界を試しているようだ。

一度、無くすことで「つながり」が有ったことを実感しようとしているようだ。

一人の人間の「つながり」を表そうとしたら書ききれないほどの「つながり」があることに気づく。一人ひとりの人間は、あらゆるつながりの「結び目」のように存在しているイメージ。

過去、未来、祖先、子孫、親、きょうだい…

目の前の人とのつながりだけでははない。

自分のもとにやってくる製品ひとつとっても「つながり」があるからそこに在る。

製品がどれだけの経路を辿ってきたのか、つながりの一つでも切れていたら、自分のもとには無いことを知ることも出来ないくらい、「無い」のだから。


つながりは一つではない。つながりは無数にあることを思い知る。縦横だけではなく、前後、時間、あらゆる方向からつながっている。

近視眼的になって、一つの「つながり」だけを握りしめてしまい、それが切れてしまって絶望することもある。

本当は絶望しなくていいのだ。

見えづらいけど、とてつもない量のつながりがあることに気が付くことが自分を救う手がかりになるのだ。


確かに、わたしたちは「つながって」いた。

見えないつながりの中で「つながって」いた。


そして、わたしたちは今も「つながっている」
つながりの形はひとつじゃない。


つながりを意識しながら生きることで、自分をはげまそうと思う。

大丈夫。わたしたちは「つながって」いる。

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