やまぐちようこ

グラフィックレコーディングをしています。思考の可視化、会議や話し合いの見える化。 グラ…

やまぐちようこ

グラフィックレコーディングをしています。思考の可視化、会議や話し合いの見える化。 グラレコよーこ/はなとゆめ/コーチング/Code for Kusatruメンバー /グラレコ/滋賀県草津市在住/岸見一郎氏のアドラー心理学好き

最近の記事

【グラレコ】能登半島地震コネクトマップ

能登半島地震コネクトマップというアプリは、みんなでネットにつながる場所を登録してデータを集め、公開するためのアプリです。集めたデータはオープンデータとして利用できる仕組みです。 このコンセプトが一覧できるようなイラストが作れないか?と、福島 健一郎さんからお声かけいただいたので、ハイの実践で即答、えいやっ!とグラレコを二日間で描きました。 ちなみに、息子の第三者目線があったおかげで、何のために作られたアプリかグラレコで現すことができました。 ありがとう息子。 現地におられ

    • 「この人すごいんだよ!」という、言葉の力

      きっかけclubhouseで北原さんのroomに入ってみたんだけども。 北原さんは知ってる人を引き上げてはずっと「いいね〜」と「この人すごいんだよ〜」と発言されているのを聞いていて、とっても心地よかった。 clubhouseはギラついている?clubhouseは、相互フォローやフォロワーを増やすことに血道をあげるroomがたくさんいる感じ。 あと、憶測披露と先行投資当て込んだ人とギラついた人が多め。そうではないところもあるんだろうけど。 私が光に集まる虫のようにフラフラ近寄

      • 自分を恐ろしいと思うこと

        自分のことが恐ろしいという感覚になった。人間不振というより、自分不振という感じになった。 想像しやすい恐怖県外からの流入を阻止しようとする自警団的なものが車を傷つけたりしているから、「県内に住んでます」ステッカーを行政が配っている地域があるらしい。ニュースを見ていて、なにそれ?と思った反面、もし自分が県外ナンバーの車を持っていたら標的になったかもしれない。という恐怖もわいてきた。この恐怖は想像しやすい方なので、対処も考えられる。 想像しにくい恐怖でも、もっと怖いと思ったの

        • 私たちは「つながって」いた

          私たちは「つながって」いた。 小さなウイルスが、つないでいた手を離させた。 今は、「つながって」いた「手」を離さないと大変なことになる。 こんなにつなげていたのかと驚くぐらいに「つながり」があった。 見えない「つながり」をまざまざと実感する。 つながりは、 透明で薄く細く、 極彩色で濃く太く、 強烈な存在感があったり、見えづらくてまるで無いように感じたりする。 リアルなつながり。バーチャルなつながり。 私たちは「つながり」のない世界を試しているようだ。

        【グラレコ】能登半島地震コネクトマップ

          メンタルを病みそうになってから、復活するまで

          わたくし、病んでましたこの半月ほど たぶん病んでました 気付いたきっかけは、仕事で小さな失敗に気付き、その対応中に泣きそうにな状態になったから 小さな失敗は無事にリカバリしたものの 週明け月曜日には気持ち悪くて、朝ごはんが喉を通らなくなった 仕事に行きたくなくて、辛くて辛くて、どうしようかと慌てた やばい、働けなくなったら困る どうしよう、どうしよう そうして、不安だけが大きくなっていった 元は、たぶん思い込み失敗してはいけない、放置されている、やらなければなら

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          メンタルを病みそうになってから、復活するまで

          まずは誰を勇気づけるのか

          いくら言葉で知っていても 体験しないとわからないことがある 自分を大切にされた経験のない人が、他人を大切に出来るかと言えば、私の少ない経験だけども、難しいのではないかと思う。 「私に出来ることはありますか?」 私自身、この言葉を掛けられただけで、自分に勇気が湧くなんて、ちっとも思っていなかった。 困った、どうしよう、もうダメかもしれない そう思ったときに 「私に出来ることはありますか?」 と言葉をかけられたことは、涙が出るほど嬉しかった。 「ここまでは協力で

          まずは誰を勇気づけるのか

          人は、見たいものを 見たいように見る

          何かしらの形に似ているものや、心情を表すような風景や、現象や事象に触れたとき、見たいように見る。 雲の形、水晶の色、空の色、こぼれた水の形、燃え上がる炎の形、飛んでいくロケットの雲 勝手に、読みといた風に意味をつける 人はそういう生き物なんだなぁ 良い悪いではなく そういうことが好きで 頼りたくて 知りたくて 納得したくて 触れてしまったら巻き込まれる ほんと、そういう生き物なんだね 自分にもそういう部分があることを知っていよう 流されそうになったり

          人は、見たいものを 見たいように見る

          強烈に作りたいと思ったもの

          たいして何も出来ないのに、長野にある伊那食品工業の経営について書かれたネット記事を読んで、強烈に、働く人とその先の人を幸せにする会社を作りたいと思った。 やりたいことも何も決まってないのに。 自分のことながら、「ちょっと何言ってるか分かんない。」と苦笑い。 会社はみんなを幸せにするもの 働く人の幸せはもちろんのこと、その先の社会の幸せも願い、実現させる 素晴らしい。 私もそんな場で働きたい。 そんな場所には出合ったことがない。 なければ作るしかないなぁ。 そ

          強烈に作りたいと思ったもの

          そうすることで良い結果がでるなら、そうすればいいけど、そうでないなら放置で

          「それをする事で、結果が良くなるならやりますけど、良くならないのであればする必要はないかなと思います。」 こんな言葉が自分から出てくるとは思わなかった。 以前、知り合いのマダムの 「悩んでいい結果がでるなら、いくらでも悩めばいいけど」 と言う言葉に刺激を受けたことを思い出す。 すごい考え方だと思った。 ぐだぐだ悩む時間がもったいない 悩んでいい結果になるなら悩めばいいけど、悩んでも結果はたいして変わらないなら、悩む時間がもったいないから、悩むのをやめる 同じ文

          そうすることで良い結果がでるなら、そうすればいいけど、そうでないなら放置で

          心配しているなら、そういえばいい

          ああ、この人は心配していってくれているんだな。 とは、分かった。 分かったけども、言い方がしんどかった。 以前の私なら腹を立てて返事をしなかったりするだろう。 心配されていることすら、気づかなかったろう。 心配しているなら、そういえばいいのにな。 嫌味をを言ってもよい結果にはならないよ。嫌味をいって関係がよくなるならいくらでも言えばいいけど。 嫌味で人を遠ざけて結果をよくしようとしても、関係は悪くなるだけだからなぁ。残念なことだ。 なーんてことも分かるようにな

          心配しているなら、そういえばいい

          めざし続けるもの

          これは本当に私が言った言葉なんだろうか? 頑張らなくていいよ。 楽しめばいいよ。 そんな言葉をかけられるようになっている自分に驚く。 本当に私が言った言葉なんだなぁ。 頑張ることが正義と思っていた私が言う言葉ではないよな。 それくらい私も変化してきたということだ。 東に向かって歩き続けて、 いつしか東にきていた。 東に向かって歩いていたのだから当然だけど。 ちっとも前に進んでいないと思っていたけど、人との会話で前に進んでいたことに気づく。 ありがたい瞬間

          めざし続けるもの

          こだわりに気づく(いつものこと)

          また、読まれることにフォーカスしすぎている もっと自由でいいのに 書きたいことかないといいつつ、注目されたいとか、すごいこと書きたいとか、大作とか、何か特別なこととか、とらわれている 自分のなかを解放する事が怖いのかな 基本、臆病者だもんとか言い訳しつつ、臆病者って自分にしか意識が向いてない証拠で、人の目を気にしまくっている人のことだから 自分にしか興味がないってことは、こういうことなんだよなぁ 気軽さの反対側にいる自分に気がつく 気がつけるのも幸せだな

          こだわりに気づく(いつものこと)

          自分の機嫌をとる

          自分だけのために自分の機嫌をとる。 機嫌よく居られるように、自分の機嫌を知る。いまの状態を知れば、どうすればいいか見えてくるはず。そんなことをつらつらと思う。 幸せであれば、成功は後からついてくる。そんな話を真に受けてみようと思う。 誰かの機嫌を取るために、自分を犠牲にしなくていい。 誰かに振り回されなくていい。 自分の機嫌の責任を誰かに押し付けてしまうと、誰かの犠牲の上に自分の機嫌を成り立たせてしまうわけで、やっぱり誰かに振り回されてしまう結果になる。 自分の機

          自分の機嫌をとる

          出来ることをやって、出来ないなら、諦めればいい

          自分の出来ることに集中する 自分の出来ることを精一杯やっていれば、自分の為だけでなく、それはきっと誰かの役に立つ。 自分のポジションで力を尽くす。 出来ていなかったり、足りなかったりだったら、工夫をして何とか出来るように知恵を出して調整していく。 それでも出来なければ、自分に向いていないのだ。 向いていないと思ったときに、諦めればいいのだ。 諦めてもいい。 それも一つの選択肢だ。 出来なくてもいい。 出来ることをやって、出来ないなら、それは自分に向いていなか

          出来ることをやって、出来ないなら、諦めればいい

          中途半端はダメじゃない

          「おれ、中途半端だから』 私と、家を出た娘と、同居している息子と話をしていた。その会話のなかで息子がポツリと言った。 彼は、自分が長年やって来たものを、数年やっただけの自分より若い才能に追い抜かされたと感じ、自尊心が傷ついたみたいだった。 中途半端という言葉は私にも刺さったが、その言葉はほとんどの人に刺さる言葉だと思う。 やりとげたのもがない 人より秀でたものがない 結果が出せていない 成果が上がっていない ものになっていない ひとかどの人間になっていない

          中途半端はダメじゃない

          おばあちゃん家では怒られない

          お昼前、娘と孫たちが帰っていった。 28日の夕方から、5月1日の午前中まで娘と孫が我が家に滞在していた。娘は、子供たちが母親以外に怒られない数日を過ごせたと言っていた。普段はお父さんや、近くに住むおばあちゃんに、色々と言われる事があるらしい。 そういう育て方しか知らないから、仕方ないなぁと思いつつ。孫も大変だなぁと思う。 子供の好ましくない行動を怒っても同じことをするなら、怒ることは効果がない証拠なんだけどね。なんて、娘と迎えに来た娘婿に話してみた。 今回、私自身の変

          おばあちゃん家では怒られない