茶道のわびの心を知ってさびちゃった一日でした。
いつもお茶を立てる稽古で使っている抹茶が
青汁風味
になってきて、いくらなんでも辛い。
お客様用、お茶席用ではないのだから、高額のものではなくて、もうすこしマトモな抹茶がほしい…。
そう思って、Amazonで一保堂茶舗の抹茶「幾世の昔」を購入しました☺️
30グラムで1,000円ほどなので、割高っちゃあ割高。
でも、香りがよくてゴージャスな味わいは格別です。
今まで散々、お茶の香りで癒されるだのマインドフルネスだの言ってたくせに、1,000円の抹茶に乗り換えた程度でゴージャスとまで褒めるのか!貧乏舌か!と言いたい人もいると思いますが、
言えばいいじゃない(怒)
なんとでも言えばいいじゃないですか〜(なげやり)
なんで今日は不機嫌なのかって、茶道の古典「長闇堂記」に目を通していたら、著者は茶人になりたくて右往左往、時流に乗ってそれなりに資産は持てたとはいえ、大名や大商人に混ざって
「数寄」
を追求すれば、物持ちではない自分には肩身が狭い。
かと言って
「わび」
に到達するほどの豪胆さもない、お茶が好きで好きでしょうがない人が生涯の遺産として遺した茶室が、無学な寺男に薪にされて燃やされてしまうというオチに目が点になったからです。
諸行無常…。
「わび」って、枯れた有様にポジティブな価値を持たせることで、中国の竹林の七賢とか文人の田舎暮らしのように、手間暇をかけて質素を演出するのでしょう?と思っていました。
でも、江戸時代中期の「茶道早合点」という書には、
「わびとは貧乏人というこころなり」
とスバリと書いてあって、私の直感はそれが正解と言っています笑
大名や富豪にとっては物質よりも精神の豊かさが尊くて、
「ボロは着ても心は錦」
は美学として成立するかもしれないけれど、貧乏人がボロを着たらそのまんま貧乏ですよね〜
はぁ…
本気で茶道に打ち込んだら、フェラーリ 1台のお金が飛んじゃう。
茶杓がほしいなあ。
困った。
京都の名店の抹茶です。
ちょっと奮発する価値はあります。お稽古が楽しい!
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