クリーム2

ありがとう ぼくのワンダフルな12年と11ケ月~天国からのメッセージ~ ⑥

この物語は脳炎という病気にかかってしまったクリームとしんペー家族の闘病生活を書いたものです。ペットを飼っている方に何か感じてもらえると嬉しいなと思います。

一気に全部書いてしまうと長くなるので、1章ずつ話を書いていきますね。
今回は「闘病生活(発症から2年半 9才から12才の頃)」です。
6章からは闘病生活をリアルに描写しています。ペットも生き物なので何があるかわかりません。生きている今を大切にしてほしいと思います。

【前回までのお話】
1章 お母さんとの別れ
2章 ペットショップへお引越し
3章 運命の出会い
4章 発病
5章 宣告~涙…そして決意~

闘病生活(発症から2年半 9才から12才の頃)

脳炎の宣告を受けてからのぼくは、治療のために2週間に一度病院へ通院する生活が始まった。
少しでも進行をおさえるために、ステロイド薬や免疫抑制剤をはじめ7種類のお薬を飲みながら様子を見ることになった。
 
 ここで、ぼくが患った脳炎・・・正式な病名は「壊死性髄膜脳炎」という病気について少し説明しておくね。
別名「パグ脳炎」とも言われているらしく、パグちゃんに発症することが多いらしい。何らかの原因で脳の細胞が壊死していき、それに伴う神経がマヒして動かなくなり、最終的には死にいたる。言わば進行性の神経難病って感じかな。想像しただけでも怖い病気だよね。
しかも急性で進行が早い場合、数日で亡くなってしまうケースもあるらしいんだ。
幸い、ぼくの場合はとても進行が緩やかなタイプだったようで、少しずつ少しずつ症状が悪化しいていったんだ。

 9才半で発症。2年間は足腰に力が入りにくくバランスを崩してボテッと倒れることが多くなったけど、なんとか起き上がれたし、歩くこともできたので、それほど困ることはなかった。
だけど、やはり病気はぼくの体を少しずつ少しずつ確実にむしばんでいった。

 月日が過ぎ、12才を迎える頃には後ろ足の力が入らなくなり、自分の力だけでお座りすることも、起き上がることもできなくなってしまった。
目もぼんやりとしか見えなくなり、耳もほとんど聞こえなくなってしまった。
一番辛かったのは、みんながお仕事や学校にいっている間に一人でお留守番している時間だった。おしっこに行きたいなって思った時、目の前におしっこシートが見えているのに体が思うように動かせないからいけない。何度も何度も起き上がろうとチャレンジしてみるけど、焦れば焦るほど余計に動けなくなる。そのうち我慢できなくなってお布団の上におもらししてしまって・・・とてもとても悲しかった。
「お母さーん!お母さーーん!!早く帰ってきてー!!」と、祈るしかなかった。

 そんな状況が続いた頃、お母さんはぼくを一人で留守番させるのがかわいそうだからと、職場に相談してお仕事を減らしてくれたんだ。
ぼくは「もうしわけないなー」と思ったけど、正直とても嬉しかった。
お兄ちゃんも学校が休みになると、ずーっとぼくのそばにいて、抱っこしてくれたり、一緒に並んで寝てくれたりして、とても安心だった。
みんな、ぼくを一人で不安にさせないようにと協力して守ってくれた。
ぼくはなんて幸せ者なんだろうと思った。


6章 闘病生活(発症から2年半 9才から12才の頃)はここまでです。
だんだんとクリームの容体が変化してきました。それに伴い家族の対応も変化してきています。ここから家族はどうなっていくのか。注目してください。

次回は7章「さらなる悪化(発症から3年 12才の頃)」です。
もしかすると記事を読んでくれている人のペットの中にも壊死性髄膜脳炎を患っている方がおられるかもしれません。
この記事を通して、どのような対策すればいいのかなど伝えれればと思います。

では次回の記事をお待ちください(∩´∀`)∩








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