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サウナが大嫌いな母と大好きな父は離婚した。それでもまたサウナが2人を導いた。

私はサウナの英才教育を受けてきた。

父は毎日の様にサウナに通う生粋のサウナー。

そんな父に連れられて週に1度だけ行くサウナが私の楽しみだった。

さすがに毎日は連れて行ってはくれなかったが、必ず週に1度だけ私をサウナに連れていってくれた。

最初はサウナ室へ入ることは許されず、その間は温泉に浸かっていた。

白く濁る温泉に浸かりながら、そこから見えるサウナ室の窓を覗き込んでは薄暗い大人達の楽園に憧れていた。

父はサウナに入る前に必ず言った。

「お父さんがサウナに入ってる間は必ずお父さんから見える所にいなさい。」

今思えば父が連れて行ってくれるサウナには必ず大きな窓があり浴室を見渡せた。

私は温泉に浸かりながらサウナ室を覗き込むと父は背筋を張り不安そうな表情でいつもサウナ室の外を眺めていた。

そうまでしてもサウナに入りたかったのだろう。恐らく本当は私を連れて来たくはなかったはずだ。しかし私はそんな親の心を知らずに一緒にサウナへ行きたがった。

そんな日常が私は大好きだった。


父は私が10才になるとサウナ室への入室を許してくれた。

初めて入るサウナは想像以上に熱かったが、
長年憧れていた薄暗いサウナ室に入った時は何かを達成した様な感極まる思いだった。

100℃の熱波の中、目を閉じると心臓の鼓動がサラウンドで刻み出す。

徐々に早くなる心臓の鼓動に戸惑ったものの横には父がいたので我慢した。

横目でチラッと父を見ると、険しい顔をしていたが立ち上がる気配はなかった。

だから私も耐えた。

でも限界だった。

父よお願いだから、もう立ち上がってくれ。

私は足を震わせながら、そう願っていた。

そしてサウナ室の12分計がちょうど1周をし、長針と短針が重なる。

その時だ、父は突然立ち上がりサウナ室を一目散に駆け降りた。

私もそれに続きサウナ室を駆け降りる。
それから父と同じタイミングで水風呂へ入り、お互いに顔を合わせると2人は満面の笑みで笑い合った。

父は言った。

「栄作は熱に強いなー。ここのサウナ室は熱いんだぞ。いきなり12分は大したものだ。でもサウナに我慢は禁物だ。絶対にするなよ。これからは出たいタイミングで出れば良い。お父さんには絶対に合わせるな。」

私達は酩酊としながらも、
水風呂を出ては満天の星空の下、ベンチに座り語り合った。

「栄作は将来何になりたんだ?」

私は言った。

「バンドのギターとか憧れるな。あとはお父さんみたいにサウナに一杯通いたい。」

2人は笑い合った。

そして、心地良い沈黙の中、空を見上げた。

気持ち良かった。

父が毎日の様に通う意味が分かった瞬間だった。

しかし、そんな日々は長くは続かなかった。

それから数ヶ月後、両親は離婚した。

原因は父のサウナ通いだった。

酒癖が悪かった訳でもない。気性が荒かった訳でもない。父はサウナに毎日の様に通う以外は優しく真面目で理想の父だったが母からしたら許せなかった様だ。

休日だって必ず日中は一緒にいてくれたし私からすれば何も不満はなかった。

母も長年耐えたのだろう。

人の気になる点は誰しも違うものだから、母を責める気にはなれなかった。

父は生まれ育った山梨へと帰っていき、私は母に引き取られた。

お別れの日、私が目覚めると父はもういなかった。リビングにはヤマハのギターが置かれ手紙が置かれていた。

「今までありがとう。栄作と入った数々の温泉、そして数回のサウナ。本当に幸せでした。不甲斐ない父でごめん。」

私は泣きながら外に出て父を探した。

走って駅まで向かったが、父はもういなかった。

優しい真面目な父だった。いつもサウナに連れて行ってくれた。

大きな窓があるサウナ室からいつも背筋をピンっと張っては心配そうに私を探してくれていた。

私には想像も出来ないが父も父なりに悩みを抱えサウナに逃げていたのだろう。

大切な息子を置いてまでサウナに入りたかったのだ。

それから私は母に週に1度だけワガママを言っては温浴施設に連れて行ってもらった。



サウナに入る度に優しい父を思い出す。



そんな私は大学を卒業して社会人になった。
社会という荒波にもまれながらも、どうにか毎日を過ごしている。

気付けば毎日の様にサウナに通う日々だ。

仕事が終わりサウナに行く。

そして母が用意してくれた冷えた晩御飯を食べる。

母は毎日LINEを来れる。

「今日は早く帰りますか?」

私はぶっきらぼうに答える。

「サウナに行ってから帰ります。」

どうやら血は争えないようだ。


でも私は母に感謝していた。
女手ひとつで私を育て、大学にまで行かせてくれた。

私はとある日の休日に母をドライブへと誘った。そこでサウナへの思い。そして父のことを話すことにした。

父はいつもサウナに行くと心配そうに私をサウナ室から探していたこと。

父は父なりに悩みを抱えサウナへ逃げ、どうにか日常をやり過ごしていたこと。

今の私だから理解出来ることを赤裸々に伝えた。

母は微笑みながら言った。

「じゃあ私も一度入ってみましょうかね。大嫌いなサウナに。」

それはちょうど江ノ島が見える頃だった。

帰り道、私と母は父がいつも通っていた東名厚木健康センターに行った。

母にとってもここは毎週の様に私に連れて来られていたので馴染みの場所だ。

私は母に念を押した。

「絶対サウナに入ってね。」

2人は2時間後に出ることを約束した。

私は少し不安になりながらも父を思い出してはサウナに入っていた。きっと母も同じ気持ちのはずだ。

そして2時間後、私がフロントで母を待っていると、まだ少し髪が濡れた母が忙しなく女湯から出てきた。

「すごく気持ち良くて、ついつい長居しちゃった。サウナって良いね。ちゃんとサウナ、水風呂、外気浴のルール守ったよ。」

それから数ヶ月後。

私は母と山梨へ向かっていた。

車内は無言だった。

母はかなり緊張している様だ。

そして車は山中湖へ着いた。

そこには、少しだけ老けた白髪混じりの父がいた。

母は気まずそうに「久し振り。」っと手を振った。

父も気まずそうに「久し振り」っと手を振った。


それから3人は近くのサウナへ行き私は父と久し振りに語り合った。母も恐らく色々グルグルと感情を思い巡らせていた事だろう。

今日は久し振りに家族が揃った記念日だ。


サウナは私達を一度は引き裂いたが、長い年月をかけて、また巡り合わせてくれた。

それからまた数ヶ月が経った。


その間、母は休日になると山梨へ通っていた。

そして間もなく父は帰って来た。

父の職場は山梨なので週末にしか帰ってこないが、再び私達家族の生活がスタートした。

週末になれば家族3人でサウナへ行く。

それが今の私の幸せだ。

彼女でも出来たら両親を連れて4人でサウナへ行こう。それが今の私のささやかな夢だ。

その時には誰一人欠かさずに皆一緒にサウナに行きたい。

今思えば私はサウナの英才教育を受けて来た。父から学んだことはサウナのことばかり。あとギターを1本貰った。

私は嘆いていた。

その英才教育がサッカーだったり、野球だったりしたら、もしかしたら私の人生は変わっていたかもしれない。

しかし、私が受けた英才教育は「サウナ」。
長年通ったところで熱さに慣れるものでもないし、水風呂が冷たく感じなかったりするものでもない。

私のフィジカルは初めてサウナに入ったあの日以来、何も変わっていない。

でも変わったこともある。

サウナに通い続けているうちに多くの歳の離れた友人が出来たし、今では多くの同世代の友人も出来た。

私のこのささやなストーリーを話したら皆泣いて喜んでくれた。

そして週末になれば、そこに父が仲間として加わる。最初は少しだけ気まずかったが今では当たり前の風景となった。

サウナ後の仲間達との語り合いは週末はお預けで家族と過ごす。

他愛もない話だが、私は今確かに家族を取り戻し、友人達にも囲まれている。

あとはサウナ好きの彼女でも見つけよう。

大広間でサウナ後にいつも1人でソフトクリームを食べるあの子に勇気を出して話かけてみよう。

父から教わったことはサウナだった。

大した教えではないが、今確かに私の人生はサウナを中心に幸せへと向かっている。

One Love.

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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