親から見た子、子から見た親というはなし
『半分青い』という朝ドラを観ている。
佐藤健君見たさに、姉に録画してもらったものを今観ているのだ。
幼少時代は、佐藤君が出ないと聞いていて、なーんだ、と思っていたのだけれど
子から見た親
すずめ(このドラマの主人公)の子供自体がいたく純真で、胸がぎゅっとなった。
おばあちゃんに先立たれて元気をなくなってしまったおじいちゃんのために、三途の川を越えられる糸電話をつくり始めたり、
すずめの左耳が聞こえなくなって悲しむ母親のために、自分の左耳の耳鳴りがどんなに楽しい世界なのかとコマ送り映画をつくったり。
一見、まぬけなことをしている裏に、誰かを想う気持ちがある。
一番印象に残ったのは、すずめと母親の親子喧嘩。
自分の名前を馬鹿にされ、相手にゴミ箱を投げつけたすずめ。
しかしすずめが投げたごみ箱は、幼馴染男子、律にあたってしまう(正確に言うと、悪口を言った相手をかばってぶつかった)。
大したことないので、母親には報告しなくてもいいよという律の言葉に甘え、すずめはこの事件を母親に報告しなかった。
が、どこからかその事件を聞きつけた母は、すずめを問い詰める。
「何かあったら言うようにと言ったのに、なぜ言わないのか。私はうそつきは嫌いだ。すずめは嘘ばかりだ。」と。
すずめは黙り込む。
嘘はついてない。けれど、なぜ言えなかったのかと聞かれても、答えられない。
なぜなら、名前を馬鹿にされたからと言ったら、母はそれを気にしてしまうから。
母を想えば想うほど、すずめの口は堅くなり、母親の口調は強くなる。
親から見たら、
すずめは、ただ自分を守るために口をつぐんでいるように見える。
けれど、その奥には、母を想う気持ちがある。
きっと、迷惑をかけて、けがをさせて、というのが怒りになって、「なぜ」の部分を聞くことができなかったんだと思う。
わたしはもう、こういうすれ違いに弱い。
お互いにお互いのことを想ってるのに、なんでや、と、半泣きで観ていた。
きっと
親から見た子は、未熟で、自分が教えてあげなければと思っている。
けれど、子どもはきっとわかってる。感じてる。考えてる。
そこを汲んであげることは、大切だなぁと、そんなことをおもいました。
たとえ理解はできなくても、なにか理由があったんだなと、ふんわり待っていようと、思いました。
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